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教師であり父でありApple好きな人が書くブログ

学級経営と危害原理

先日、珍しく教育について真面目に話をしました。相手はごりごりゴリラ先生です。毎日朝スペースで話をしていますが、真面目に教育について話をすることはなかったので楽しい時間となりました。ごり先生、ありがとうございました。

今日はそこでも話題にしたある出来事について考えたことです。

 

立場の違う二人の先生

事の発端は次のtweetです。

身バレを防ぐために書きますが(もうこの言葉にはなんの効力もないかもしれませんが笑)、架空の学校の架空の出来事と捉えてください。

 

新卒担任の男性教諭は、比較的自由な時間があります。彼は普段から一生懸命子ども達と向き合って指導しています。月並みな表現で言えば「熱心な先生」と言ったところでしょうか。

さて、上記ツイートにもある通り、先日、彼は本校で行われる合唱コンクールに向けて、クラス全員分のCDを準備しました。熱心な彼は昼休みもつきっきりで合唱指導をしています。なるべく学校にいるときは生徒と一緒に時間を過ごしたいという彼らしい行動です。当然、テスト採点や翌日の授業準備などは部活指導後の放課後に行っています。

 

一方、隣のクラス担任である女性教諭は同じことはできません。小さなお子さんが家にいるので、なるべく日中に業務を行い、放課後は早めにお子さんを迎えに行かなければいけません。当然、新卒男性教諭と同じことはできません。女性教諭は、彼の行動をどのように捉えているのか。おせっかいながら、こんなことを考えてしまいました。

念のために話しておきますが、この二人の先生はこの件についてトラブルを起こしたわけではありません。この件について言えば、二人とも自分にできることをやって生徒とも良い関係を築いています。

 

このツイートについては、男性教諭の行動を止めるか続けさせるかを問うたものでした。どちらの意見もたくさんいただき、勉強になりました。今回の件のような出来事は、日本全国どこにでも起きていることなのだと実感しました。

そして一つ、次のような考え方も皆さんに知ってほしいと思いました。危害原理という考え方です。

 

危害原理とは

危害原理とは、J・Sミルという方が『自由論』の中で提唱した考えです。「個人の自由は尊重されるべきだ。ただし、他者に危害を与えてしまう場合は、個人の自由を制限する必要はある」というものです。よく使われる例で紹介します。

 

スポーツの世界ではドーピングは禁止されています。もしドーピングが「個人の自由だ」と主張され、制限できなくなったらどうなるでしょうか。

一人の選手がドーピングを使用して大会に出場したとします。彼は、自分の持っている以上の力を出して良い結果を残したとしましょう。当然、彼の身体はドーピングによって傷つけられています。

この行為が許された場合、ドーピングをして大会に参加する人の数はどんどんと増えることでしょう。ドーピングを使用した選手は、身体にダメージを負いながらも、有利な状況を獲得します。

 

やがて大会に参加する選手全員がドーピングを使用するようになるでしょう。大会に参加する選手は、必然的にドーピングをすることが参加資格になってしまいます。このとき、彼らはドーピングを使用したにもかかわらず、全員が同じ条件になってしまいます。全員が身体にダメージを受けているにもかかわらず、誰も有利な状況が生まれないことになります。つまり、彼らが得たのは身体のダメージのみとなってしまうのです。

 

危害原理を意識して行動したい

私たちは、誰しも自由に行動する権利があります。しかし、この危害原理でいえば、この自由な行動は時には制限される場合があるようです。そして、今回の新卒教諭の行動は、私はこの危害原理に触れてしまうのかな、とも思いました。

一生懸命やりたい彼の気持ちは否定しません。しかし、彼の行動が当たり前になってしまうと、苦しくなる人はいるはずです。(念のため再度言いますが、今回の件でこの学校の二人の先生は特に問題もなく指導しています)私は、合唱指導が終わって落ち着いたら、彼にこの件について話してみようと思います。こういうのを老婆心というのですね。

 

これを読んでくれた人、過去の自分も含めた一生懸命やりたい先生に伝えたい。その行動は、危害原理に当てはまらないか。その行動によって、周りに困る人がいないか。そもそも危害原理は身体的な危機についてのみ適用するので、正しくは今回の件に当てはまらないのかもしれませんが。

「それくらい自由だ」という考えを持つ人もいるでしょう。「じゃあ何が良くて何が悪いんだ」という疑問を持つ人もいるでしょう。少なくとも、私自身は、私の行動によって誰か困る人がいないか、少しでも想像できる人になりたい。そんなことを感じた出来事でした。