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教師であり父でありApple好きな人が書くブログ

はてなブログからNotionブログへ移行しました

当ブログは2022年1月3日よりはてなブログからNotionブログへ移行しました。

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50年後の学校①「学校の1日」

 

地元の教員仲間とSlackでゆるくつながっています。熱く教育について語ったり、たわいのないことを雑談したりと、楽しいつながりを持つことができています。

今日書くのは、そのSlackに載せた内容と同じものです。私の妄想日記、50年後の学校について。何かためになるものでも何かが身につくわけでもないただのコラムですが、私の理想の学校像がこれです。

もしよければお付き合いください。

 

始業時間

生徒は8時45分に登校してきます。教師の始業時間は8時です。基本的に教師は8時より前に来ません。当然です。勤務時間外ですから。電話も8時より前につながりません。そもそも電話はないのが50年後の学校です。自動音声が対応してくれます。

教師は8時に登校したら今日のスケジュールを再確認します。打ち合わせは共同掲示板です。朝のミーティングは行いません。その必要がないからです。全体のミーティングをしないので、それぞれが時間をフルに有効活用します。授業準備をする先生、他の先生と情報交換をする先生、それぞれがそれぞれの仕事を全うしています。

生徒の登校時間は教師よりも後に設定されています。当然でしょう。どこに店員よりも前にお客様を受け入れる店がありますか。勤務時間とはそういうものです。

 

午前授業

授業は9時から始まります。午前中は5教科をメインに学習します。50年後もそれぞれの教科で学ぶ内容に多少の変化はありつつも、教科に大きな変更はありません。生徒は主体的対話的で深い学びを目指した授業をしっかりと受けます。

昼休憩は1時間です。生徒は1時間の間に昼食をとったり遊んで気分転換をしたりします。この1時間は教師の休憩時間でもあります。職員室で昼食をとったり、中には外出して食べる人もいたりします。生徒と一緒に食べることはまずありません。当然です。休憩時間ですから。休憩時間とはそういうものです。

ちなみに仮眠室もありますので、疲れた方は休憩してください。生徒の分もあります。15分寝るだけで午後の過ごし方が大きく変わるという研究結果もありますよ。

 

午後授業

午後の授業は実技教科がメインです。体育や音楽などを行います。午前中に5教科、午後に実技教科を学習するのは、その方が効率が良いからです。全校の生徒が午前中5教科、午後実技教科を行うので、当然教師の数は今よりももっともっと増えています。教育にお金をかけるとはこういうことです。

 

放課後

遅くとも15時には全ての授業は終了します。放課後は生徒が各自選んだ過ごし方で生活します。午後は学校開放を行います。地域の方や希望する教師と一緒に運動をする生徒がいます。今でいう部活動ですね。50年後の学校の人たちにとっては、機械的に割り振られた素人指導者が運動指導にあたるなど理解できない悪習という認識です。

あるいは、午前中にわからなかった内容を教師に個別で教えてもらう生徒もいます。午後は大学生もインターンとして学校にくるので、学生にマンツーマンで教えてもらうことも可能です。昨日運動した生徒は、今日は勉強を教えてもらっても良いです。生徒が自分で考え、大人は場の提供を行います。

中には中学生同士が集まって「地域の活性化」に向けて真剣に議論している場もあります。企画書を発行し、教師とともに市長に提出するようです。地域は学生とともに創り上げていく場所となっています。

 

当然、教師の中には15時で帰る人もいます。中には勤務学校ではなく、住んでいる場所にある学校で上記の指導を行う人もいます。教材研究を行う先生、15時退勤で家庭へ戻る先生、いろいろな立場があります。遅くとも16時45分になったら終了です。これ以降の活動は一切行いません。学校は完全に地域の場として開放し、教師は帰宅します。当然です。定時ですから。定時とはそういうものです。

 

おわりに

あくまで私個人の妄想世界の話です。実現可能かどうかはあまり考えていません。実際にこんな世界になったら面白いだろうなと思って妄想しています。次回は50年後の授業について書いていこうと思います。

学級経営と危害原理

先日、珍しく教育について真面目に話をしました。相手はごりごりゴリラ先生です。毎日朝スペースで話をしていますが、真面目に教育について話をすることはなかったので楽しい時間となりました。ごり先生、ありがとうございました。

今日はそこでも話題にしたある出来事について考えたことです。

 

立場の違う二人の先生

事の発端は次のtweetです。

身バレを防ぐために書きますが(もうこの言葉にはなんの効力もないかもしれませんが笑)、架空の学校の架空の出来事と捉えてください。

 

新卒担任の男性教諭は、比較的自由な時間があります。彼は普段から一生懸命子ども達と向き合って指導しています。月並みな表現で言えば「熱心な先生」と言ったところでしょうか。

さて、上記ツイートにもある通り、先日、彼は本校で行われる合唱コンクールに向けて、クラス全員分のCDを準備しました。熱心な彼は昼休みもつきっきりで合唱指導をしています。なるべく学校にいるときは生徒と一緒に時間を過ごしたいという彼らしい行動です。当然、テスト採点や翌日の授業準備などは部活指導後の放課後に行っています。

 

一方、隣のクラス担任である女性教諭は同じことはできません。小さなお子さんが家にいるので、なるべく日中に業務を行い、放課後は早めにお子さんを迎えに行かなければいけません。当然、新卒男性教諭と同じことはできません。女性教諭は、彼の行動をどのように捉えているのか。おせっかいながら、こんなことを考えてしまいました。

念のために話しておきますが、この二人の先生はこの件についてトラブルを起こしたわけではありません。この件について言えば、二人とも自分にできることをやって生徒とも良い関係を築いています。

 

このツイートについては、男性教諭の行動を止めるか続けさせるかを問うたものでした。どちらの意見もたくさんいただき、勉強になりました。今回の件のような出来事は、日本全国どこにでも起きていることなのだと実感しました。

そして一つ、次のような考え方も皆さんに知ってほしいと思いました。危害原理という考え方です。

 

危害原理とは

危害原理とは、J・Sミルという方が『自由論』の中で提唱した考えです。「個人の自由は尊重されるべきだ。ただし、他者に危害を与えてしまう場合は、個人の自由を制限する必要はある」というものです。よく使われる例で紹介します。

 

スポーツの世界ではドーピングは禁止されています。もしドーピングが「個人の自由だ」と主張され、制限できなくなったらどうなるでしょうか。

一人の選手がドーピングを使用して大会に出場したとします。彼は、自分の持っている以上の力を出して良い結果を残したとしましょう。当然、彼の身体はドーピングによって傷つけられています。

この行為が許された場合、ドーピングをして大会に参加する人の数はどんどんと増えることでしょう。ドーピングを使用した選手は、身体にダメージを負いながらも、有利な状況を獲得します。

 

やがて大会に参加する選手全員がドーピングを使用するようになるでしょう。大会に参加する選手は、必然的にドーピングをすることが参加資格になってしまいます。このとき、彼らはドーピングを使用したにもかかわらず、全員が同じ条件になってしまいます。全員が身体にダメージを受けているにもかかわらず、誰も有利な状況が生まれないことになります。つまり、彼らが得たのは身体のダメージのみとなってしまうのです。

 

危害原理を意識して行動したい

私たちは、誰しも自由に行動する権利があります。しかし、この危害原理でいえば、この自由な行動は時には制限される場合があるようです。そして、今回の新卒教諭の行動は、私はこの危害原理に触れてしまうのかな、とも思いました。

一生懸命やりたい彼の気持ちは否定しません。しかし、彼の行動が当たり前になってしまうと、苦しくなる人はいるはずです。(念のため再度言いますが、今回の件でこの学校の二人の先生は特に問題もなく指導しています)私は、合唱指導が終わって落ち着いたら、彼にこの件について話してみようと思います。こういうのを老婆心というのですね。

 

これを読んでくれた人、過去の自分も含めた一生懸命やりたい先生に伝えたい。その行動は、危害原理に当てはまらないか。その行動によって、周りに困る人がいないか。そもそも危害原理は身体的な危機についてのみ適用するので、正しくは今回の件に当てはまらないのかもしれませんが。

「それくらい自由だ」という考えを持つ人もいるでしょう。「じゃあ何が良くて何が悪いんだ」という疑問を持つ人もいるでしょう。少なくとも、私自身は、私の行動によって誰か困る人がいないか、少しでも想像できる人になりたい。そんなことを感じた出来事でした。

Notionは書いていて楽しいツールScrapboxは思考に集中できるツール

 

Notionのギャラリービューをカード的に使ってみた

 

 

Twitter上でやり取りをさせてもらっているTenmamaさんの計らいで、Notion教員コミュニティが立ち上がりました。それをきっかけに、私も以前使っていたNotionを復活させました。

 

これまでタスク管理として使っていたTiktikを解約し、タスク管理を全てNotionで運用することにしました。

 

 

結論から言うと、このタスク管理についてはNotion引っ越しは大成功と言えました。これまでTiktikで重宝していた「今日やること」リストと「今月やること」カレンダーリストが、Notionでうまいこと運用することができました。これについては、iPad miniをセルラーモデルにしたことも大きかったです。

 

Notionの可能性をもう少し広げたいと思った私は、次に、Scrapboxでやってきたアイディアナレッジ管理をNotionのカードビューで実現してみようと試みました。参考にしたのは次の動画です。

 

 

そして、これらを参考にしつつ、Scrapboxの見た目に揃えたのが次の画像です。1枚目がScrapbox、2枚目がNotion。

 

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割と近いイメージでの見た目が実現できたので、これはいけるかも、と思いました。何より、Notionの良いところである見た目の美しさが最初は心地よかったのです。しかし、しばらく使ってみてあることが気になってしまいました。

 

Scrapboxは書くことに集中できる

 

NotionのカードビューでもScrapboxのような運用はできました。私は、カード的にノートを使うことがどうやら好きなので、しばらくは特に不便さもなく運用することができました。Notionのオールインワンというなんでもできるこのアプリに、可能性を感じ、ワクワクしていました。

 

しかし、しばらくしてあることが気になってきました。Notionでは、Scrapboxで感じていた書くことだけに集中できる感覚が味わえないのです。さまざまな機能を組み合わせて活用することができることがNotionの素晴らしい点です。しかし私の場合は、そこが気が散ってしまう原因となっていました。文章に見出しをつけたり、色を変えたりするのは楽しいのですが、Scrapboxでおこなっていた「ツールを使って思考する感覚」が味わえないことに気がつきました。むしろ、Notionを使って初めて、Scrapboxでは思考「だけ」に集中できていたのだと気がついたわけです。

 

アプリの乗り換えを行う際に、「以前使っていたアプリのように使えないからこのアプリはダメだ」と判断するのはナンセンスです。NotionとScrapboxは別々のツールであり、コンセプトも違います。従って、NotionをScrapbox的に使おうとするその行為自体が間違っています。ただ、2つのアプリを比較することで、それぞれのアプリの強みを再発見できることも事実です。私は、しばらくScrapboxでおこなってきたことをNotionで行ったことでそれぞれのアプリの良さに気がつくことができました。

 

 

それぞれの強みを活かす

 

思考のログナレッジログを記録することで言えば、Notionは1つのページに体系立てて情報を残すことに向いていそうです。見出しをつけたり、色をつけたりすることでワクワクしながら運用することができました。

 

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Scrapboxは思考だけに集中することができるツールです。特に何も考えずに、同じようなカードが増えることも気にせず、とにかく書いてリンクを貼って別のカードを辿って時々眺めて、を繰り返して思考します。頭の中でおこなっていたものをScrapboxと一緒に対話しながらおこなっている感覚に近いです。(関連どのようにしてScrapboxにカードを増やすのか - MOLOG

 

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最近では、読書ノートで言えば、Scrapboxで断片的にカードを書いていき、章ごとに要約したり表紙やいつ頃読んだのかなどのメタデータはNotionに書いて管理するようになっています。ScrapboxのリンクをNotionに貼れば、Notionから思考の入り口へ移動することもできます。

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教師という職業への新しい働き方の提案

仲間内でLIFE SHIFT2の読書会を行っていました。

正直な感想としては、章立ての構成をもう少し変えるともっと読みやすかったのでは?と思っています。内容としては、LIFE SHIFT1とさほど大きく変わっていませんでした。まだ1を読んだことがない人には十分オススメできる一冊です。

私はこの一冊を通して、教師という職業の魅力をもっと高めるにはどうすれば良いのかを考えていました。マルチステージの時代に突入した今、教師という職業にもっと魅力を与えないと、日本の教育はドンドンとされていってしまうと言う危機感を持っています。今日はそのことについて少しばかり書いてみます。


魅力なくして繁栄なし

従来のライフステージは大きく分けて以下の3つでした。

  • 学生という第1ステージ
  • 社会人という第2ステージ
  • 余暇という第3ステージ

しかし、今はマルチステージの時代。第2ステージとされていた年齢の人が学生になったり、長い期間の余暇を過ごしたりするのが認められてきました。

また、同じ企業で引退まで働くことが良しとされてきましたが、職を転々としながら個人のスキルを高めていくことに価値を見出す人も増えてきました。そうなると、企業としては優秀な人材をとどめておく手立てが必要になってきます。

私が所属する教師という職業も同じことが言えます。教師という職に魅力がないと、どんどんと人が流出してしまいます。教員全体の離職率は2017年では0.7%。決して高くない数値ですが、年齢別に見ると25-35歳の離職率は20%近くあります。

若い人たちの人材流出は教育の未来にとって明るいニュースではないでしょう。私は、この数値は、これからも下がる見込みは少ないと思っています。教師という職業に魅力なくして教育の繁栄はないと言っても過言ではないでしょう。


新しい働き方の提案

以下は、企業の魅力を高めるためにできる新しい働き方の提案です。LIFE SHIFT2に書かれていたものもあれば、私が勝手に妄想しているものもあります。

  • 多様な勤務時間体系
  • 多様な入社年齢
  • 個人の学び支援システムの構築
  • 新しい退職の形の提案

これを、教師という職視点で考えてみます

多様な勤務時間体系

多様な勤務体系を、あえて勤務時間にフォーカしてみました。学校現場で話をするならば、過去何度か提案してきたフレックスタイム制度の導入はどうでしょうか。 変形労働時間制よりもフレックスタイム制を導入すれば良いのに - MOLOG

担任を2人制にするなど、システム変更の必要性は出てきますが、現在の教員リソースから工夫次第で導入できるのでは、と妄想しています。

また、ICTの活用により、このまま業務改善が進むといずれ7時間45分の勤務時間が6時間程度になる未来もゼロではないと思っています。このようにして、多様な勤務時間体系を導入することで、労働者の余白を生み出し、それがそのままその職の魅力につながるとも思っています。

多様な入社年齢

入社年齢を、これまでの大卒が多数派を占めていたこれまでから、30代40代の即戦力を積極的に採用する企業が増えてきました。学校でこれを導入するとどうなるでしょうか。

一度一般企業に就職した後、教員の道を選ぶ人も徐々に増えてきたと思います。これを促進することで、教員のなり手不足を補うことができます。学校現場に、もっと出入りがあって良いという雰囲気を作ることもできます。

ただ、もちろん考えなくてはならない課題もあります。例えば、40歳から一般企業を経て教員になった場合、最後に授業したのは何十年前の教育実習だった、と言うことも起きるでしょう。また、学校には学校独自の暗黙知がたくさんあります。そういった暗黙知をきちんと伝えるようなマニュアルを作成する必要が出てきます。

学び支援システムの構築

先の授業や暗黙知に対するマニュアル作成は、この学び支援システムにも関連してきます。要は、働きながらスキルを身に付けるような学習システムを構築すると言うことです。このシステムがしっかりとしていれば、働く人はその職に必要なスキルを身に付けることができます。スキルを身に付けることができると言うのは、その職業の魅力につながることでしょう。

これにも、ICTツールはひと役買ってくれます。ICTツールの活用により、学習コストはどんどんと下げられていくことでしょう。また、理想はその職に就いている人たちがコミュニティーを形成し、学習プラットフォームを形成することです。オンライン上でも先生たち同士がつながって、教材を共有したり授業のノウハウを伝えあったりすることが可能になりました。

新しい退職の形

これまでは、ある年齢に達すると突然その職業を辞めると言う退職の形が提案されてきました。定年退職です。冷たいシャワーという表現が使われていました。LIFE SHIFT2では、冷たいシャワーではなく、徐々にぬるま湯にしていく形の退職が提案されています。

55歳以上からはパートタイム制度を設けます。働きたい人はフルタイムで働けば良いし、そうでない人はパートタイムで働き、空いた時間に次のステージへの準備を行うことができます。このようにして、緩やかな退職の形を提案できれば、安心して就職することができるでしょう。


魅力のある職業だからこそ勤務システムの変化を

上にあげたものは、一朝一夕でどうにかなるものではありません。しかし、現在のリソースを大きく変えることなく、工夫次第で導入できるものもあると思います。魅力のある職業だからこそ、システムを変えてもっと成り手を増やしていけると良い、そうなると日本の教育も明るくなるのでは、という提案です。

Appleオリジナルドラマ『FOUNDATION』の魅力

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先日、AppleTVで放送されているドラマシリーズ『ファウンデーション』のシリーズ1がエピソード10で終了しました。<br><br>

 

このファウンデーションは知る人ぞ知るというSF大傑作。私はドラマを見るまでは知りませんでしたが、1951年に小説として登場した後、様々な作品に影響与えたと言われています。<br><br>

 

 

### 魅力①映像がとにかく綺麗

 

Apple TVのドラマシリーズは、どれも映像のクオリティーがとんでもなく高いことで有名です。毎回どのドラマも、映画並みのハイクオリティーな映像を見ることができます。<br><br>

 

そもそもドラマというのは、予算が少なかったり、毎週制作する関係で時間が限られていたりするため、映画と比べてチープになってしまうのが現状です。しかし、このドラマの当たり前を覆すのがアップルクオリティー。どのドラマも役者の演技、セットやCGの作り込み、秀逸な日本語吹き替えなど、超一流のクオリティーで作成されています。このファウンデーションのクオリティーは特に高いと言われています。<br><br>

 

ファウンデーションを映像化する話は過去にもあったそうです。しかしながら、宇宙と言う設定で描かれるハイスクールなこの小説を満足のいくクオリティーで映像化するのは不可能と言われてきました。今回Appleは、ここに挑戦をしたわけです。<br><br>

 

ファンデーションについては、ウィキペディアやAppleでは以下のように紹介されています。

 

> 『ファウンデーションシリーズ』は、1万2千年続いた銀河帝国の衰退後、新たな第二銀河帝国の核となるべく設立された第一ファウンデーションに関係する人間を中心に描かれた物語である。Wikipedia

 

> アイザック・アシモフのヒューゴー賞受賞小説シリーズを基に、銀河帝国の崩壊のさなか、人類の救済と文明再建を担う追放者たちを描く壮大なるSF叙事詩。

 

銀河帝国と聞くと私たちは、スター・ウォーズを思い浮かべます。しかしこのファウンデーションはスター・ウォーズよりも前に書かれた小説です。スター・ウォーズは、このファンデーションからヒントを得たのかもしれません。<br><br>

 

この大宇宙と言うとても広大なスケールをアップルはハイクオリティーなCGと役者で表現していきます。特に映像の美しさにはきっと皆さんも驚かされるはずです。冒頭、月のようなものが2つ見えます。これはスター・ウォーズでも使われている手法で、地球ではない惑星であることを表現しています。<br><br>

 

色鮮やかな帝国の様子。どこまでがCGかわからない水の惑星。これまたどこで撮影されているかわからない砂の惑星。ドラマと思えないクオリティーで様々な星が表現されています。<br><br>

 

Apple TVは、Apple製品で見ると1番美しく見えるそうです。ぜひ皆さんお手持ちのiPhoneやiPad MacBookなどApple製品を使って見てみてください。シリーズのエピソード1から3までは無料で契約もせず見ることができると思います。<br><br><br>

 

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### 魅力②ローマ帝国を彷彿させる脚本演出

 

ファウンデーションを書いたアイザックアシモフは、ファウンデーションを書く前に『ローマ帝国衰亡史』を読んだそうです。それに影響されてから、このドラマはローマ帝国を彷彿させるような演出がたびたび出てきます。<br><br>

 

ローマ帝国では、皇帝は代々過去の皇帝の名前を受け継いで行きます(すべての皇帝がそうだったと言うわけでありませんが)。<br><br>

 

ローマ帝国の礎を築いたユリウスカエサル。初代皇帝のアウグストゥス。このカエサルやアウグストゥスという名前を皇帝は受け継ぎ、そして後世にどう名を残すのかを考えたことでしょう。<br><br>

 

中には暴君と呼ばれるカラカラ帝や、あまりのひどさに歴史から存在ごと抹消された皇帝もいました。このファウンデーションでは、ある演出を用いて皇帝を代々受け継いでいく演出がされていきます。<br><br>

 

最初は民のことなど考えていなかった皇帝が、あることをきっかけに様々な苦難や葛藤を感じることになります。この辺の演出が非常に丁寧に描かれています。<br><br><br>

 

また、ローマ帝国では様々な建造物が有名です。例えばトラヤヌスの円柱では、トラヤヌスがどのようにしてローマ帝国の領土を拡大していったのかが建造物を通して表現されています。兵士が場所を弾いている様子を掘っていたり、戦ってる様子が事細かに彫られていたりと、文章の読み書きがまだ一般的でなかったローマの時代に民衆に伝える手段として用いられていました。<br><br>

 

ファウンデーションでは、これを壁画として演出されています。代々の皇帝がどのようにしていて、帝国を拡大していったのか。壁画を描くことで、後世の人たちに伝えていきます。(言葉や文章が十分発達した文明において、壁画がどの程度この役割を担ったかは疑問ではありますが笑)。<br><br>

 

このように、ファウンデーションとローマ帝国と紐付けて考えていくとなかなかに面白い考察が得られると思います。まずはぜひ、ファウンデーションみてみてください。そして、一通り見た後は、ぜひローマ帝国についても調べてみてください。<br><br>

 

### Apple TVのドラマはどれもおすすめ

 

どのドラマもシリーズのエピソード1から3までは特に登録なしで見ることができると思います。また、これまでApple TVを経て登録したことがない人には、3ヶ月の無料期間が適用されると思います。<br><br>

 

ドラマと思えないハイクオリティーな映像や演出にきっと驚かされるでしょう。ぜひ皆さんだまされたと思って一度見てみて下さい。

 

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読書ノートの取り方〜目次書き出し〜

目次を書き出す

まずは、ノートを用意してください。デジタルでもアナログでもどちらでも結構です。デジタルノートの場合は、iPadで手書きをしたいのであればGoodNotes5、キーボードで打っていきたいのであれば、私のオススメは、Scrapboxやobsidian、Notionです。

Personalなobsidian、SocialなScrapbox - MOLOG



次に、ノートに目次を書き出してください。それだけで、この本に書かれている内容の大まかな流れが頭に入ると思います。目次には、本の内容をなんとなくでも想像させる力があります。

このとき、できればコピペではなく、自分の手で書いてください。無理にではありませんが、できればここは楽をしない方が良いと思います。人の脳は、楽をすると頭に情報が入らないようにできているからです。

手書きであれば、ノートを贅沢に使って余白をたっぷりとりながら目次を書き出してください。デジタルツールであれば、自由にレイアウトができるのでそこまで悩む必要はないでしょう。後で目次だと見えるように太字にしたいと思うかもしれません。しかし、ここに手を出すと多くの時間をかけてしまうので、今は控えておきましょう。


目次の各章の要約を書き出す

目次を書き出したら、いよいよ読書を開始します。焦らず、じっくり読んでください。本に直接書き込みながら読むのも良いと思いますが、抵抗を感じる方も多いと思うので、ここは無理をしないでください。

あとは、読みながらどんどんとノートに書いていくだけです。なんでも書いて良いのです。ただ、なんでも書いて良いと言われると、何をしたら良いのか不安になる人もいると思うので、ここでは一つの例を紹介します。

先ほど書いた目次に、各章の要約を書いてみてください。本の内容を整理するのです。『思考の整理学』では、外山滋比古さんは「整理とは無駄を削ぎ落とすことだ」と述べています。各章の中にある数千字の文章から文字を削ぎ落とし、整理をするのです。

要約を書くうえで重要なのは、「自分の言葉で書くこと」です。本の内容はいわば他人の言葉です。これを自分のものにするには、消化をしなければなりません。自分の言葉で書くとは、いわば噛む行為と言えます。人は、外から食べ物を口に入れ、噛むことで栄養を吸収します。自分の言葉で表現しないということは、消化をしないということです。これではいつまで経っても本の内容は他人のものです。

デジタルツールならばリンクをつける

obsidianやScrapboxなどを使ってノートをとっているのであれば、リンクも付けておきたいところです。このリンクによって、ノートとノートは繋がりを持つことができます。

学習とは、情報と情報をつなげることです。自分で要約したものがどこか別の本の要約とつながりを持つことができれば、それは立派な学習です。デジタルツールは、このリンク機能がアナログと比べて格段に強い部分です。使わない手はありません。

もう少し詳しい部分にリンクをつけて、リンク先のページで詳しく書く。この言葉は別のページに書きそうだなと思ったものにリンクをつける。最初は、あまり難しいことを考えずにリンクをつけてみてください。やっていくうちに、自分なりのノウハウが見つかるはずです。トライ&エラーが容易なのもデジタルの強みです。

こんな具合にして、読書ノートをつけてみることで、これまでの数冊分の学習を1冊のノートから行うことができるはずです。関連

「たくさん見る」ではなく「ゆっくりじっくり読む」 - MOLOG

どのようにしてScrapboxにカードを増やすのか

前回は、手書きのノートとScrapboxを使った読書メモ法について書きました。

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Scrapboxにカードを増やしていくことが重要とわかっていながらも、以前はあまりうまく増やせていないような気がしていました。倉下さんの本をはじめ、Scrapboxが作られた元となったであろう梅棹さんの京大式カード、二クラスルーマンのZettelekasten。これらを学びながら、今はある程度自分の運用が見えてきました。

Scrapbox情報整理術

Scrapbox情報整理術

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カードにツッコミとボケを入れる

梅棹忠夫さんも二クラスルーマンさんも、

  • 1枚に1つのテーマを記したカードを書き溜めていくこと
  • そのカード類を見返して、新たに思ったことを新しいカードに書くこと

これを繰り返してアイディアを膨らますことを進めています。私は、どうもこのカードを増やす方法というものがなんだかよくわからない、というのが正直なところでした。

一体どうしたらカードを増やせるのか。どのようにして見返すことで、カードを増やすことができるのか。

参考になったのは、千葉雅也さんの著書『勉強の哲学』でした。

勉強とは、言葉にツッコミとボケを入れていくこと。私なりの解釈は、ツッコミとは「本当に?」と批判的に問うこと。ボケとは「ところで」と話を転換すること、です。

Scrapboxを開きます(毎日欠かさず開くようにしています)。そして、昨日書いたカードにツッコミを入れていく。「本当に?」

ツッコミを入れて、得られたアイディアを新しいカードに入れていきます。カードのタイトルは、ツッコミを入れた際の回答をタイトルにします。そして、新しく書いたカードにツッコミを入れ、カードを増やしていきます。この繰り返し。

ある程度ツッコミを入れたら、ボケとして別のカードを開きます。これは、トップ画面に戻って、ザッと眺めて目に入ったカードを開くことが多いです。これが話題の転換です。「ところで」


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カードを無理にリンクしようとしない

Scrapboxなどデジタルツールを用いると、どこか「完璧にしなくては」という心理が働くのは私だけでしょうか。

Notionを使えば、いろんな機能を使いこなさなくてはいけないという気持ちになり。Scrapboxを使えば、とにかくリンクを統一しなくてはという気持ちになる。

例えば、あるカードで「学習効果」という言葉にリンクブラケットを付けたとします。すると、他の全てのカードも同様に「学習効果」という言葉をリンクブラケットでくくりたくなるわけです。この現象の名前はなんですか?


「〜しなくては」と思ってツールを使うと、途端に苦しくなってしまいます。やめましょう。私はやめました。いいじゃない、「学習効果」にリンクがあるカード、ないカードが存在していても。

ゆるいルールで使っても、それとなく機能するのがScrapboxなどデジタルツールの強みだと思います。とかく高性能なツールですから、作業感に追われながらリンクをつけていくより、とにかく毎日カードを増やす方が有益である。これが今の私の答えです。

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同じ内容のカードを書くことを恐れない

あるとき、「環境を整えることで、自分がその行為をする動機づけになる」というカードを作ったとしましょう。しばらくして(数週間から数ヶ月ほどをイメージしてください)「環境を整えるとは、道具を揃えること。場所を確保すること」というカードを書いたとしましょう。

私はScrapboxを使いはじめた当初、同じような内容のカードを書くときには、以前書いたカードになんらかのリンクを紐づけなければならないというある種の強迫観念がありました。先ほど書いたように、こういった考えはストレスを生みます。

Scrapboxの良さは、ゆるい繋がりだと思っています。同じ内容のカードがたくさんあれば、それは自分がその内容について興味があるということ。むしろ、同じ内容が合った方がアウトプットする際には有利だとすら言えます。


そうに考えるようになってからは、同じ内容を書くことを恐れず、むしろ積極的にカードを増やすよう行動するようになりました。また、Aというテーマで書いた2枚のカードは、無理にリンクしようとしなくて結構。いつか思い立ったときに検索なり見返したときに同時に出てくれば良い、くらいのゆるい気持ちで、最近は運用しています。

ゆるく運用して、毎日触れる。これがカードボックスとの付き合い方だと思います。

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検索結果を眺めるのもまた楽しい

ノートとScrapboxを使った読書メモ

本を読むときには、メモをしながら読むようにしています。メモをしながら読む時と、そうでない時とでは、内容の吸収率が全くといって違うと感じています。

読書用メモは、二クラスルーマンという方のメモを参考にしています。この方の著書『How to Take Smart Notes』という本が、最近日本語訳されて出版されました。

今日はこの本を参考にして今私が行っている読書メモを紹介します。

3つのメモ

二クラスルーマンは、メモには3つのものがあると書いています。

  • 走り書きのメモ
  • ツェッテルカステン
  • 永久保存メモ

走り書きのメモ

本を読みながら、書き殴るようなメモです。このメモは、後で捨てます。主語や述語なども用いず、簡単な単語などのメモです。

こちらは、1冊のノートにどんどんと書いていきます。ちなみに私は、いくつかの本を並行して読みますが、メモ用のノートは1冊です。その日に書いたメモは次に紹介するツェッテルカステンに写したら、あとはあまり見ません。


ツェッテルカステン

二クラスルーマンのメモ法で最も特徴的て有名なのがこのツェッテルカステンでしょう。簡単に紹介するならば、これは、1枚のカードに1つのアイディアを書いたメモをまとめた箱です。

書き方としては、細かくルールがありますが、ここでは詳しくは書きません。とにかく、たくさんのメモカードが溜まった箱だという認識で結構です。

ツェッテルカステンにはもう一つ大きな特徴があります。カードとカードにはそれぞれをつなげるリンクが存在するということです。

つまり、このカードボックスを使ってリンクを辿りながらカードと対話することで、新たなカード(アイディア)を生み出すことが可能になる、これがツェッテルカステンです。


永久保存メモ

このメモについては、他人が読んでもわかる文章で書くことが必要とされています。ツェッテルカステンを見ながら湧き出たアイディア(本当はアウトライナーなどを用いますが、この説明もここでは割愛します)を、主語や述語を入れながら、他人が読んでもわかる文章で書きます。

例え自分しか読まないとしても、他人が読んでわかる文章になるよう意識します。「未来の自分は他人」だからです。

「たくさん見る」ではなく「ゆっくりじっくり読む」 - MOLOG

走り書きのメモはノートに、それ以外はScrapboxに

上記の考えをもとに、今はノートとScrapboxを使って読書メモをとっています。

読書時にはノートとペン

ノートに書くのは走り書きメモです。後で捨てることを前提としているので、あまり難しいことは考えずに、書いていきます。

  • その章の概要
  • 後でもう一度見たい文章
  • 知識として覚えたい言葉や法則

これらを見つけたら、どんどんと書きます。ノートを使って書くことで、1枚に書く内容が制限されるのも物理ノートの良いところです。

最近は、本を読むときには、このメモ用ノートとペンを持って読書することが多いです。


走り書きメモをScrapboxに写す

ツェッテルカステンに使うのは、Scrapboxです。カード的なUIでアイディアを書くことができ、また言葉を使ってリンクさせることも簡単にできます。

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走り書きのメモを書いたら、必ずその日のうちにScrapboxにメモを写します。忘れてしまうからです。意識するのは、なるべく1枚のカードには1つのアイディアになるようにし、後で読んでもわかるようにします。

15分メモをとりながら読書をし、5分間Scrapboxへ転記します。最初からScrapboxにメモするのはオススメしません。メモばかり意識がいき、読書が進まないからです。また、一度走り書きメモをしてからScrapboxに書くことで、少しだけですが、アイディアの発酵も起きます。


永久保存メモはどうしようか

永久保存メモは今はあまり意識して書いていません。強いて言えば、Scrapboxでしょうか。本当はこの永久保存メモをためていくことが大事のようですが、どのツールに書こうか迷っているのが正直なところです。

  • 保存性の高いobsidianか
  • UIの綺麗なNotionか
  • 他人に読まれることを前提としたブログか
  • やはりScrapboxか

ここは、もう少し色々と運用しながら、自分に合った方法を模索していきます。

読書観。読書についての3つの誤解

最近読書にハマっています。本を読むことにハマっているというよりは、自分の読書との向き合い方を考えたり、読んだ本や読書観について整理することにハマっている、といった感じです。

今日は私の読書についての観を整理し、書いていこうと思います。前置きはほどほどにし、早速本題です。今日もダラダラと書いてしまいましたからね。


読書は自分勝手で良い

自分の解釈から抜け出せない私たち

至極当たり前のことですが、多くの人(かつての自分とこれからの自分)がたびたび忘れてしまうのは、「読書は量に価値があるわけではない」ということです。

「私は本を読むのが好き」という人が目の前にいるとします。まずあなたが気になるのは、この人は普段何冊ほど本を読んでいるのか、ということだと思います。あるいは、この人は一日にどのくらいの時間本を読んでいるのか、かもしれません。実は、これこそ間違ったやりとりなのです。

一日3食ご飯を食べるように、歯を磨くように、睡眠を取るように、読書は生活の中に浸透させることができます。「忙しすぎて最近歯を磨いていない」という人はいないでしょう(中にはいるかもしれませんが、そういった方とはなるべく距離をあけたいものです)。本は、何もまとまった時間がないとできない行為ではありません。


なんとなく、本を読む=インプットというイメージがあります。その感覚があると、本を読んで何かを得なければと思い、そして、まとまった時間を使って学習しなければいけないと感じてしまうでしょう。もちろん、本にはそういった役割があります。何かを体系的に学ぶには、ある程度まとまった時間を使って本を読んだ方が良いかもしれません。

人は、どこまでいっても自分の解釈でしか物事を捉えることができません。本を読んで筆者のメッセージを読み取ろうと努力しますが、結局は自分の解釈という範囲からは抜け出せません。その時の読み手の気分や環境、経験や得た知識によって、本の内容はコロコロと変わるのです。イデア的な正解があるのではなく、読み手の解釈によって本は解読されていきます。

だから、読書は面白いのです。過去に読んでさほど感動しなかった本が、数年経って読んだときに最高の一冊に思えるのはこのためです。


本を使って思考する

読書を、外から何かを与えられる行為として捉えるのではなく、思考するためのトリガーとして利用する。本を使って思考を促すのです。

何かを継続的に発信していると、時々何か発信することがないかな、と探している自分に気がつきます。この場合の発信は、ブログやSNSだけでなく、学級通信や朝の会に話すことでも結構です。皆さんも、「今日は何を話そうか」と考えたことがあるはずです。

先に書いたように、人は、情報を得るとそこに何らかの自分なりの解釈が生まれます。それが思考の第一歩になるのです。そして、その思考のネタ探しとして本を使うことを私は提案しています。


本を読む。何気なく気になった文章に線を引く。今、頭にあるものを余白に書き出す。あるいは読書ノートにつらつらと書き連ねる。しばらく書き出していくと、今頭にあるものがすっかり吐き出されています。

書くことがなくなったら本を読み進めます。焦って読む必要はありません。この場合、あくまで本は考えるためのトリガーとして利用するため、読むという行為には大きな意味はありません。

このようにして本を使う場合、本はメモ帳としての利用となります。これは、独特の体験だと思います。せっかく書いてくれた筆者に申し訳ない気もしてきます。だからと言って、本に書き込まないのは大変勿体無いことです。

綺麗な状態のまま読むなんて勿体無い。現代文テストだって問題や本文に線を引きなさいと教わったはずです。ただ眺めるだけでは、思考はついてきません。早すぎるのです。読み終わった後に某フリマアプリに出品する人にはこの読み方はできないとは思いますが。


全部読まなくても良い

本が先ではなく、調べたい対象が先の読書

私たちが本を読むきっかけはなんでしょうか。おそらく、「この本を読みたい」という欲求が先なのではないでしょうか。売れている本だから、好きな作家さんの本だから、今の自分に必要な気がするから。

そのようにして読書を始めると、大体は本の初めのページから後ろに向かって読み進めていくことになると思います。もちろん、これは読書の手法として立派な方法です。

しかし考えてみてください。例えば同じ本であっても、私たちは辞書は初めから読み進めないはずです。調べたい対象が最初にあり、それを調べるために辞書を読むはずです。辞書を最初から読む人は相当な言語オタクしかいないはずです。私は試したことがあります。


辞書は、それぞれの単語が独立しているため、自然とこういった読み方になります。本は、違います。筆者が考えに考え抜いて、章の順番を作り上げています。しかし、そういった本も辞書と同じように、調べたい対象が先にある読み方をしても良いのではないでしょうか。

つまり、盲目的に最初から読み進めるのではなく、調べたい対象について知ることができそうな部分から読んでみる、ということです。例えば私は、先日、倉下忠憲さん著「すべてはノートからはじまる」を第4章から読みました。(感想はこちら)。ノートを使って考えるためにはどうすれば良いのかが知りたかったからです。

第4章を読んで、私の疑問に対するひとまずの解答を得ました。そして、この本については、倉下さんのノート哲学が知りたかったので最初から最後まで読みました。今回は、該当部分を読んだ後、全体を読みましたが、私の場合、知りたいことに対する内容が得られれば、そのまま一度本を閉じることもあります。こういった読み方です。


資料としての読書

例えば、「遊ぶように学ぶとはどんなことか」ということについて考えたことがあります。(仕事でもなんでもなく、ただ単に考えたい、と思って考え始めました)。その際、まずは遊ぶの定義から調べます。MJハリスの「人間はなぜ遊ぶか」を手に取ります。図書館を使えば、こういった本も買わなくとも読むことができます。

人間はなぜ遊ぶか―遊びの総合理論 (心理学選書)

次に、学ぶという言葉の定義について調べます。同じく図書館で、「学習原論」を手に取りました。(正確には、手に取った、ではなくわざわざ注文して取り寄せてもらったのですが)

学習原論 (1972年) (世界教育学選集〈64〉)

どちらの本も、必要なページを読み、ノートにまとめます。こういった作業は、数ページで終わることもあれば、結局ほぼ全てのページを読んでしまった、ということもあります。いずれにせよ、最初から読むのではなく、目次をみて知りたいことが書かれていそうな部分から読み始めます。資料としての本の活用です。

本は、筆者が意図を持って順序立てて書いています。この意図を無意味だというつもりは毛頭ありません。むしろ、多くの人はやはり最初から最後まで読むべきだと思います。用途によって、読書の方法を使い分ける、ということを私は言いたいのです。


本は買わなくても良い

図書館という庶民の味方

図書館という大変素晴らしく優良な施設を皆さんは利用したことがあるでしょうか。優良な上に、本は無料です。(なんとも低俗なことを書いてしまったと自分で激しく後悔しています)

先の資料のように本を使う場合、どうしても次から次へと本が必要になってきます。先の例のように読みたい本が連鎖的に芋づる式に出てくる場合があれば、同じ疑問について何冊も読む必要が出てくる場合もあります。いずれにせよ、たくさんの本が必要になってきます。

何冊も同じテーマで本を集める資金があれば嬉しいですが、これを生業としている職業ならまだしも、私のような一教員では、残念ながら月に購入することができる本の冊数は限られています。

そこで、図書館という施設を利用するのです。


図書館はラインナップが充実していることはもちろん、図書館同士の連携もできるので、本の取り寄せも可能です。いわば、無尽蔵の書庫を私たちはこの国に生まれたというたった一つの理由で、活用することができるのです。こんなに素晴らしいことはありません。

また、街の図書館は学校と違い、一度に借りることができる冊数が多いのも魅力です。一度に十数冊借りることができる図書館もあります。こうなると、先の資料としての読書が大変捗ります。これを活用しない手はありません。

一冊をじっくり読む読書も大変素晴らしいものです。

「たくさん見る」ではなく「ゆっくりじっくり読む」 - MOLOG

一方で、このように一度にたくさんの本を使って調べる読書(こちらはむしろ学習という意味合いが強い)も素晴らしいものです。図書館ならばこの読書の方法が十分活かされます。上手に使い分けたいところです。

「たくさん見る」ではなく「ゆっくりじっくり読む」

読書と聞くと、皆さんはどんな読み方を想像しますか?

今日は、最近行っている読書法について少し書いてみようと思います。例によって今日もまた長くなってしまいましたが、これを読んであなたの読書についての捉え方が少しでも変わり、ちょっとだけ豊かなになったら嬉しいです。

また、「私はこんな読書をしている」というものがあればぜひ教えてください。


読書の方法

繰り返したくさんよむ

皆さんは、本を読むといっても、単に何種類の読み方があると思いますか。あるいは、何種類の読み方で、本を読んでいますか。

読書猿さんの「独学大全」では、読書の技法として13に技法を紹介しています。


13の技法の中には、とにかく早く本を読む「速読」。通常読む速さで読む「平読」。じっくりゆっくり読む「精読」の3つに分類されています。私も、以前速読に挑戦した過去があります。何種類も本を用意し、何度も読む方法です。

www.mo-page.com


似たようなことは、外山滋比古さんが「思考の整理学」の中で、「つんどく法」として紹介しています。

関連文献が十冊あるとする。これを一冊一冊読んでいく。三冊目くらいから、互いに重複するところがでてくる。そうすると、これが常識化した事柄、あるいは定説となっているらしいと見当がつく。前の本と逆の考えや知識があらわれれば、ここでは諸説が分かれているのだとわかる。

確かに、同じテーマについて何冊も読んでいると、別の本でも同じようなことを述べているな、と感じることがあります。また、同じ一冊の中でも、繰り返しでてくるキーワードのようなものに気づく時もあります。

ただ、私は今はあまりこの方法での読書に魅力を感じていません。私の場合は、多読速読を目指すあまり、読書が「雑」になってしまったからです。

今は次に紹介する、じっくり読む方法で本を読んでいます。


じっくりよむ

今行っている読書は、とにかく一冊をじっくりゆっくり読むようにしています。以前は一冊読むのに10〜20分程度の時間でしたが、今は半月ほどかけて一冊を毎日コツコツと読んでいます。

梅棹忠夫さんは「知的生産の技術」で、本には2種類の読み方があると定義しました。本を最初から最後まで読むことを本を「よんだ」とし、一部分を読んだことを「みた」としています。

この著書の中では、本は「みた」ではなく「よんだ」という状態にするのがよろしい、というニュアンスで紹介されています。これに感化されて、今はなるべく時間をかけて最初から最後までじっくり読むことを意識しています。


じっくりよむことで得られた気づきもあります。速読では、何冊も繰り返し読むことで、筆者の哲学に触れることができるようになります。このじっくりよむという読み方は、当たり前ですが、1回の読書で内容が随分と頭に残ります。

私は、本を「よんだ」も「みた」も、読書の方法として認めています。ゆっくり読むのも、速読で読むのも、使い分けることで読書を続けられると思っています。(どのように使い分けるのかはいつか書きます)

ただ、梅棹氏が述べていた、本を「みた」状態でその本の批評をするのは控えた方が良い、というのは心がけようと思います。一部分のみ読んで批評するのは、本の筆者に失礼と感じるからです。


ゆっくり読むことで記憶する

人が得た情報は、短期記憶というトンネルを通って長期記憶へと移っていくということがわかっています。ゆっくり読むことは、記憶にとっても大変有効です。

人は、寝ている時に頭が整理されるということがしばらく前からよく言われるようになりました。どうやらこれは、科学的な根拠もでてきているようです。

少しずつ頭に情報を入れて、睡眠によってZip圧縮を行う。たくさん入れると、睡眠の圧縮によって、情報はどこかへ消えてしまいます。

一度にたくさん入れるのではなく、少しずつ、じっくりとゆっくりと読む。そうすることで、頭の中に情報が入り、そしてそれらの情報は根を張っていき、他の情報とリンクするようになるのです。


読書メモ

なんでも書く

読書という行為を考えた時、本を読むことと同じくらい重要なことが、本の内容を整理することです。整理とは、本の内容を要約したり、自分の言葉に言い換えたり、読んで感じたことを書き出したりすることだと考えます。最近流行りの図解なども要約のための手法でしょう。

私の場合は、本の余白に、読書中に思ったことを書き出します。思ったこと、というのは、文字通り思ったこと、です。本の内容にとどまらない、ということです。

例えば読書中に「夕飯に何を食べようかな」と思ったらそれも書きます。全く本の内容に関わらないようなことでも書き出します。「これは本の内容と関係あるかな」などと考えることが勿体無いので、とにかく書き出します。夕飯に何を食べるか、という情報に意味があるとは思えません。しかしこれは、本にメモする習慣を作る上で、私にとっては必要なことなのです。


新しい章に入ったら、この章にはどんなことが書かれているか予想します。そして、その予想を書きます。章が読み終わったら、そのページに戻り、答え合わせをします。

読書を中断するときには、「次はここから読む」というメモを残します。毎日少しずつ読むために、自分に申し送り事項を残すのです。次はここから読むんだぞ、ここまでの内容はこんな感じだったぞ、この辺りが難しかった、などと細かい部分を書き残しておきます。そうすることで、次の読書時にすぐに本の中に入り込むことができます。


他人にわかる文章で書く

読書メモは、他人でもわかるような文章にする必要があります。なぜなら、「未来の自分は他人」だからです。

あなたは何か手帳にメモをします。素晴らしいアイディア(あるいは覚えておきたいこと)を得たからです。しばらくして、過去に書いたメモを読み返します。しかし、あなたはそのメモの意味がわかりません。あなたと過去の自分は他人だからです。

すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術 (星海社 e-SHINSHO)

先の「なんでも書く」で書いたように、私はメモをしながら読書をします。メモをし、それを読み返すとあることに気がつきます。過去の自分のメモの意味がわからないのです。余白にメモを取ると、字が雑になったり、文章が整っていなかったりします。

過去の自分、未来の自分は他人です。だから、他人に向かって発信する気持ちで書いた方が、メモは後になって生きたメモになります。

外に発信する

そうは言っても、なかなか他人に書くつもりになって書く、とは難しいものです。私は、まだ未来の自分が他人であるということを認識できていないようで、ついつい「これくらいでわかるだろう」と思いながらメモします。もちろん、そういったメモは後から読んで、なんでこんなメモをしたんだ、となることが多いです。

だから、いっそのこと他人に向けてメモを書くことにしました。今はSNSを使って誰でもなんでも情報発信ができる時代です。これを利用します。

本を読みます。これはと思ったところに線を引きます。余白に思ったことをなんでも書き出します。しばらくしたら、メモを読み返します。そして、そのメモをもとに、再度感じたことをTwitterに書き出します。


最初は「誰が読むんだこんなツイート」と思っていましたが、始めてみるとなかなか反応があって嬉しいです。「過去にこの本を読んだ」「面白そうなので書います」などの反応をもらいました。反応があると、やはり嬉しいですね。もし、誰かの背中を押して些細なものでもきっかけになるのであれば、もうしばらく続けてみようと思います。

ちなみに、上記のようにツイートとして書き足していった読書メモは、最終的にScrapboxに入れています。1項目1枚のカードにまとめ、こちらは習慣として見るようにしています。メモを振り返って読み、思ったことをまた別のカードに書く。これによって、読んだ内容が自分に浸透していくような、概念化されているような感覚を今は感じています。

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何冊読んだかは重要ではない

こんな様子で読書をしてみると、あらためて、読書は量ではないということがよくわかります。1ヶ月で10冊読むのと、1ヶ月で1冊をじっくり読むのとでは、本から得る量が異なります。本をみた、ではなく、本を読んだ、という充足感も得られるようになりました。

私たしは「本が好き」と聞くと「どれくらい読んでいるのか」という言葉をよく口にします。しかし、それは意味のない質問だということもわかってきました。このように本を読んでみると、本を読むだけでなく、外に発信することも含めて読書と捉えることができるようになります。そうなると、読むという行為は読書の一部であり、そこだけフォーカスしても意味がないことがわかります。

この形の読書は、しばらく続けていこうと思います。毎日少しずつ、読み進めていく感覚が今は心地よいからです。