GIGAタブレット導入。今一度、ノートの役割を考えてみる
学校にGIGA端末が配付され、学習の形態が徐々に変わりつつあります。
これまでの当たり前が本当に当たり前だったのか、もっと良い方法があるのではないか、と見直され始めました。
今日は、「ノート」についてです。
今一度、ノートの役割について考えてみようと思います。
①アイディアの受け皿
アイディアメモ
以前ブログで、学校でもっと長い時間をかけて文章をかく練習をしたいという話を書きました。
2000字程度のものではなく、半年から1年かけて10000字程度の一つの文章を完成させる、という提案です。
長い時間文章を書き続ける体力をつけたいとか、走り方を教えたいという表現がしっくりします。
原稿用紙が配られてそこでアイディアを出し書き始めるような即席のインスタント作文ではなく、具材としてのアイディアを選ぶところから拘っていくような骨太の作文づくりです。
となると、日頃パッと思い浮かんだアイディアの受け皿が必要になってきます。
アイディアというのは、まるで花火や流れ星のように、出たと思ったら一瞬で消えてしまうんですよね。
だから、急いでそのアイディアを書き留める何かが必要です。
そういった意味では、いつでも手にしているものとして、スマホやタブレットなどのデジタル機器はデバイスを超えることができることが強い点ではあります。
あるいは、メモ帳を常に携帯できればそちらでも良いのですが、生徒の物を無くす能力の高さは尋常ではありません。
ある程度いつでも持ち運ぶもの、無くしにくいものとしてGIGAによって配付されたデジタル端末はなかなか理にかなっていると思います。
「心がときめいた瞬間」メモ
アイディアは何も学校で探さなくても良いのです。
もしかしたら、家に帰ってからの方が良いアイディアを思い浮かぶかもしれない。
脳科学者の茂木健一郎さんは、良いアイディアはボーッとすることから生まれてくると言いました。
そうなると、むしろ学校という緊張する場所ではなく、家のような落ち着いたリラックスできる場所の方が良いアイディアが思い浮かびそうです。
アイディアの受け皿に、学校と家の垣根は必要ありません。
例えばこんな例はどうでしょう。
1年かけて、「私が好きなもの」というテーマで1万字の作文を作り上げます。
まずはアイディア出し、ネタ集めとして半年間かけて「心がときめいた瞬間」をメモとして書き出し続けます。
使うのはGoogle keepです。学校ではChromebookで、家に帰ってからはスマホなどでいつでもどこでも書き続けていきます。
この時は、とにかくネタ集めに集中していきます。
そして、月に1回アイディアの点検をします。
メモリストを眺めて、共通点や感想、なぜときめいたのかなどのメモを作成していきます。
そして、半年後にそれを箇条書きの形にしてアウトラインづくりを行います。
こんな形で作る作文があっても良いのではないか、と最近密かに企んでいます。
②ノートで思考する
書き出すことで自分の考えに気づける
独学大全より引用します。
ノートに写すのではなく、ノートで思考する
私たちの目の前の生徒は、普段どんなノートを書いているのでしょうか。
先生が黒板に書いた文字をそのまま綺麗にノートに写してはいないでしょうか。
果たしてその行為は必要でしょうか。
同じ内容を作成したいのであれば、コピーで済みます。
子どもたちはコピー機ではありません。
一生懸命黒板に書いてある文字を写すことで、いったいどれだけ思考を促進することができるでしょうか。
人は、日頃から脳内でたくさんのことを考えています。
しかしその考えは、頭に浮かんだ瞬間にもう次のことを考えているのだそうです。
思い浮かんだ内容が頭から消えてしまう前にノートに書き出すことで、人は自分が何を考えているのかを認識できるというわけです。
授業中は書き出すことで、自分の考えに気がつけるようなノートの取り方をさせたいなと最近思っています。
アジャイルライティング
ノートというと、私たちや生徒は、どうしても綺麗な形の文章を書くことをイメージしてしまいます。
しかし、「ノートで思考する」と捉えると、ノートはむしろ箇条書きや単語の羅列、文と文の繋がりがイメージできないようなものの方が良いかもしれません。
最近は「フリーライティング」や「モーニングノート」が企業人の中で流行っています。
頭に思い浮かんだものをとりあえずノートに書き出すというノートの取り方です。
書き出したものは、後で見返したり、逆に見返してはいけなかったりといくつかの流派に分かれますが。
ここでは、頭に浮かんだものを書き出して、後から編集することを想定したノートの取り方を考えていきます。
アジャイル思考というものがあります。
とりあえずやってみて、やりながら修正を加えていくという考え方です。
学校のノートの取り方は、一度書いたらほとんど後から修正を加えることはありません。
綺麗な板書を綺麗にコピーする。作文の時には、一度書いた文章は決して編集されることなく進んでいく。
このノートの取り方で、果たして深い思考は実現するのでしょうか。
このノートの取り方で深い思考をするには、あまりにも脳に負担がかかっていると思うのです。
そこで、アジャイルライティングです。
とりあえず今考えていることや書き溜めたアイディアノートを一度文章にします。
そして、しばらく書いたら読み直して、修正したり最初から書き直したりします。これがアジャイルライティング。
そうです。
こんなのは遥か昔から言われている(私たちが学生の時に教わった)「推敲」と何ら変わりません。
ただ、この推敲、ちゃんとやろうとするとかなり面倒です。私は今まで、原稿用紙に書いた文章を修正したことはありません。
ここで、デジタルの登場です。
デジタル機器の強みであるコピーや、文字の挿入を使えば、文章の修正というのはアナログと比べれば遥に簡単に行うことができます。
だから、何度も文章を書いて、自分が何を考えているのかを文章から感じ取り、もう一度編集する。
この繰り返しで文章を書く力を鍛えるわけです。
もしキーボード入力が苦手な年齢であれば、音声入力でも良いでしょう。
音声での文字入力だと驚くほど簡単に文章作成をすることができます。
さいごに
今日はアナログノートではなくデジタルノートに比重をおいてノートの役割について考えてみました。
アナログでは難しかったノートの活用が、今の時代に求められているのだと思います。
もう黒板に書いてある文字を写すコピーはやめたいのです。
生徒はコピー機ではありません。
ノートで思考するという方法を、身に付けていくと、人はさらに物事を深く考えられるのではないか。
そして、その手段としてデジタル機器が活かせるのではないか、というのが私の提案です。