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教師であり父でありApple好きな人が書くブログ

「すべてはノートからはじまる」あなたの人生をひらく記録術【感想】

夏休みは平日毎日spaceを開いて会話を楽しんでいます。先日は、魚住惇先生とお話しすることができました。「教師のiPad仕事術」の著者の方です。

魚住先生については、以前から魚住先生のブログやpodcastのファンで何年も前から知っていました。その方と初めてTwitterでやりとりをした時の感動は覚えています。「あ〜画面の向こうの人とやりとりができる時代なんだな」と。

今回、生魚住先生とお話をすることができ、とても感動しました。ご自身は一般の高校の先生なので、そんなことを感じてはいないと思いますが、発信者は受信者からすると憧れの存在なのです。


また、昨日はTwitterでPADAoneさんにフォローしてもらいました。このフォローしてもらっただけでなんだかお友達への第一歩を踏み出せたように感じ、勝手に喜ぶあたりに私の小物感が滲み出ていると思います。

PADAoneさんは、私が最近ハマっているAnkiやobsidianで有名な方。知的生産と呼ばれるその界隈ではとても有名な方です。

インターネットって、人と人と繋ぐツールだよなぁと改めて感じました。


さて、今日は私にとって上記のお二人のように、憧れの人の一人、倉下 忠憲さんの新刊「すべてはノートからはじまる」を購入、読んだのでその感想をまとめようと思います。


人はノートという外部リソースを使うことで進化した

本書でのノートの定義

この本のタイトルにもあるノートとは、普段私たちがノートと聞いてイメージする大学ノートのようなノートブックとは違う意味で定義されています。厳密にいうと、ノートは英語圏の人に言わせるとノートブックで表現するので、本来のノートの意味は後述する本書での意味の方が相応しいと言えそうです。

ここでいうノートとは、やることリストを書くための付箋やアイディアやスケジュールを書くための手帳、日記日誌日報…またそれらの用途で使われるデジタルツールなど、ありとあらゆるもの(時には行動)をノートとして定義しています。

この本はよくある「○○をすればうまくいく」といったノート術を紹介する本ではなく、あらゆる記録するツールを含めたノート論について書かれた本という認識で読んでいくと良いと思います。


本文中にもいくつかノートについての技法が紹介されていますが、この本のメッセージはその技法をどうこうしようというものではないと思われます。何か具体的なノート術を得ようとしてこの本を読むと、期待にそぐわないことが起きるということです。

あらかじめその点を知ってから読むと、この本のメッセージを筆者の望むかたちで受け取ることができるはずです。逆に、この感覚がうまく消化されないと、読み手にとっては少々辛い読書になってしまうかもしれません。

とはいえ、倉下さんの文章は非常に読みやすいので、読んでいるうちに知らず知らずにこの辺りの概念が浸透していくかもしれません。梅棹著「知的生産の技術」や野口著「「超」整理法を読んでいない私にとって、この本は、書くという行為を哲学レベルにまで概念化する素晴らしい一冊となりました。


ノートはチート

この本の導入は、人がいかにしてノートという外部ツールを用いて進化してきたかで始まります。この導入からすでに、本書がよくあるノート術の類ではないことが伝わってきます。人は、書くことで広く伝えることが可能になり、より深く考えることが可能になったのです。

それはちょうど、インターネットの普及により、これまで交流することが難しかった人同士の交流が簡単にできるようになったり、誰でも専門的な知識を手軽に手に入れることができるようになったりしたことに似ています。ノートを扱うことは、インターネットの次元より遥に大きな進歩をヒトに与えてくれました。

人は、ノートという外部リソースに頼ることで発達していきました。そういった意味で、ノートはチートなのです。


さて、この感覚を私たち教師はどれだけ持っているでしょうか。盲目的に黒板に書かれた文をノートに書き写して終わり、という授業をしていきてはいないだろうか。ノートをチート的に使うことができているだろうか。

ノートの力は偉大です。生きる上で、モノを考える上でとんでもない力を発揮します。しかし、それは黒板の文字をコピペしただけでは不十分です。学生にとっては、1日のうちほとんどをノートと一緒に生活しています。

脳はノートという外部ツールに頼ることで、より深く考えることができます。どうしたらより深く考えることが可能になるか。本書の第四章では「考えるために書く 思考のノート」としてこの部分について書かれていました。


ノートを使って考える

考えるとは

そもそも私は、アイディアを引き出すためにはどうすれば良いのか、ノートを使って考えるにはどのようにノートを書けば良いのか。その技術のヒントを得たいと思ってこの本を手に取りました。(実際にはアマゾンでポチッとしたわけですが)

先の疑問についての結論としては、「書いたノートをもう一度読む」ことで、私たちはノートを使って考えることができるようになると書かれています。

この第四章は、まず「考える」とはどんな行為をしますのか定義するところから始まります。数学を専門教科とする私にとっては、定義から始まる文章はとてもワクワクします。この後に論理が展開されることが予想できるからです。


人は、情報を目や耳などで受け取ると直感的無意識にそれを処理します。本書では、この処理のことを「思う」と定義しています。

そして、「思ったこと」について意識的にもう一度、再処理することを「考える」と定義しています。そのように定義することで、考えるためには何が必要かがしっかりと論理的に説明することができます。

「腹が減ったな」と頭に思い浮かぶことが「思う」。「何を食べようか」「なんで腹が減ったのだ」「昨日何食べたっけ」と思ったことについて再処理することを「考える」としたわけです。


考えるためには

いよいよ私の疑問であった「考えるためにはどうノートを使えば良いのか」が先程の定義によって明らかになっていきます。

再処理することを「考える」とすれば、「思ったこと」をノートに書き留め、もう一度読んで再処理すれば「考える」ことができます。つまり、考えるために、私は一度書いたものをもう一度読み、そこで思ったことをまたノートに書けば良いわけです。

なんとも当たり前のような、それでいてこれまで殆どできていなかった回答が得られました。


これまでは、obsidianなどで読書メモやアイディアを書いてきましたが、読み返すことはあまりしていませんでした。読み返すことは大事とされながら、なんとなく思ったことを書き出すことで手一杯だったような気がします。

定期的に考えるために、obsidianにSpaced Repetitionというプラグインを導入しました。過去にごりゅごさんがメルマガで紹介していたものです。これで、効率良くノートを見返すことができるようになりました。

読書は余白にメモをしながら読み、一章読み終えたところでそのメモを読んでさらにメモを書き足すという方法で考えながら読むようにしています。今のところ、一定の手応えをかんじています。


書いたことを読み返すことで、人は考えることができる。ここから展開される、学校で生徒が考えるようになるためには?について考えても良さそうですが、今からこれについて書くには余白が足りません。

いずれにせよ、きちんと論理立てて書かれているためシンプルながらも説得力ある回答が得られて満足しています。わかりやすい文章はそのまま読み手の行動を変えやすい。

しばらくノートを読み返すことを続けていこうと思います。


おわりに

本書はあらゆる記録するためのツールをノートとして、ノートがいかにヒトの進歩に役立ってきたのか。どのような役割があるのかについて書かれています。

あらゆるノート術についての本を内包するノート論が書かれた本。ノートの定義が秀逸だったためにこのような本が完成できたのだと思います。

わかりやすい言葉で書かれていながらも、深いところまで読者を導いてくれる一冊です。普段一日中ノートをとらせる学校の先生に知っておいて欲しい内容がたくさん書かれていました。


すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術 (星海社 e-SHINSHO)