MOLOG

教師であり父でありApple好きな人が書くブログ

「たくさん見る」ではなく「ゆっくりじっくり読む」

読書と聞くと、皆さんはどんな読み方を想像しますか?

今日は、最近行っている読書法について少し書いてみようと思います。例によって今日もまた長くなってしまいましたが、これを読んであなたの読書についての捉え方が少しでも変わり、ちょっとだけ豊かなになったら嬉しいです。

また、「私はこんな読書をしている」というものがあればぜひ教えてください。


読書の方法

繰り返したくさんよむ

皆さんは、本を読むといっても、単に何種類の読み方があると思いますか。あるいは、何種類の読み方で、本を読んでいますか。

読書猿さんの「独学大全」では、読書の技法として13に技法を紹介しています。


13の技法の中には、とにかく早く本を読む「速読」。通常読む速さで読む「平読」。じっくりゆっくり読む「精読」の3つに分類されています。私も、以前速読に挑戦した過去があります。何種類も本を用意し、何度も読む方法です。

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似たようなことは、外山滋比古さんが「思考の整理学」の中で、「つんどく法」として紹介しています。

関連文献が十冊あるとする。これを一冊一冊読んでいく。三冊目くらいから、互いに重複するところがでてくる。そうすると、これが常識化した事柄、あるいは定説となっているらしいと見当がつく。前の本と逆の考えや知識があらわれれば、ここでは諸説が分かれているのだとわかる。

確かに、同じテーマについて何冊も読んでいると、別の本でも同じようなことを述べているな、と感じることがあります。また、同じ一冊の中でも、繰り返しでてくるキーワードのようなものに気づく時もあります。

ただ、私は今はあまりこの方法での読書に魅力を感じていません。私の場合は、多読速読を目指すあまり、読書が「雑」になってしまったからです。

今は次に紹介する、じっくり読む方法で本を読んでいます。


じっくりよむ

今行っている読書は、とにかく一冊をじっくりゆっくり読むようにしています。以前は一冊読むのに10〜20分程度の時間でしたが、今は半月ほどかけて一冊を毎日コツコツと読んでいます。

梅棹忠夫さんは「知的生産の技術」で、本には2種類の読み方があると定義しました。本を最初から最後まで読むことを本を「よんだ」とし、一部分を読んだことを「みた」としています。

この著書の中では、本は「みた」ではなく「よんだ」という状態にするのがよろしい、というニュアンスで紹介されています。これに感化されて、今はなるべく時間をかけて最初から最後までじっくり読むことを意識しています。


じっくりよむことで得られた気づきもあります。速読では、何冊も繰り返し読むことで、筆者の哲学に触れることができるようになります。このじっくりよむという読み方は、当たり前ですが、1回の読書で内容が随分と頭に残ります。

私は、本を「よんだ」も「みた」も、読書の方法として認めています。ゆっくり読むのも、速読で読むのも、使い分けることで読書を続けられると思っています。(どのように使い分けるのかはいつか書きます)

ただ、梅棹氏が述べていた、本を「みた」状態でその本の批評をするのは控えた方が良い、というのは心がけようと思います。一部分のみ読んで批評するのは、本の筆者に失礼と感じるからです。


ゆっくり読むことで記憶する

人が得た情報は、短期記憶というトンネルを通って長期記憶へと移っていくということがわかっています。ゆっくり読むことは、記憶にとっても大変有効です。

人は、寝ている時に頭が整理されるということがしばらく前からよく言われるようになりました。どうやらこれは、科学的な根拠もでてきているようです。

少しずつ頭に情報を入れて、睡眠によってZip圧縮を行う。たくさん入れると、睡眠の圧縮によって、情報はどこかへ消えてしまいます。

一度にたくさん入れるのではなく、少しずつ、じっくりとゆっくりと読む。そうすることで、頭の中に情報が入り、そしてそれらの情報は根を張っていき、他の情報とリンクするようになるのです。


読書メモ

なんでも書く

読書という行為を考えた時、本を読むことと同じくらい重要なことが、本の内容を整理することです。整理とは、本の内容を要約したり、自分の言葉に言い換えたり、読んで感じたことを書き出したりすることだと考えます。最近流行りの図解なども要約のための手法でしょう。

私の場合は、本の余白に、読書中に思ったことを書き出します。思ったこと、というのは、文字通り思ったこと、です。本の内容にとどまらない、ということです。

例えば読書中に「夕飯に何を食べようかな」と思ったらそれも書きます。全く本の内容に関わらないようなことでも書き出します。「これは本の内容と関係あるかな」などと考えることが勿体無いので、とにかく書き出します。夕飯に何を食べるか、という情報に意味があるとは思えません。しかしこれは、本にメモする習慣を作る上で、私にとっては必要なことなのです。


新しい章に入ったら、この章にはどんなことが書かれているか予想します。そして、その予想を書きます。章が読み終わったら、そのページに戻り、答え合わせをします。

読書を中断するときには、「次はここから読む」というメモを残します。毎日少しずつ読むために、自分に申し送り事項を残すのです。次はここから読むんだぞ、ここまでの内容はこんな感じだったぞ、この辺りが難しかった、などと細かい部分を書き残しておきます。そうすることで、次の読書時にすぐに本の中に入り込むことができます。


他人にわかる文章で書く

読書メモは、他人でもわかるような文章にする必要があります。なぜなら、「未来の自分は他人」だからです。

あなたは何か手帳にメモをします。素晴らしいアイディア(あるいは覚えておきたいこと)を得たからです。しばらくして、過去に書いたメモを読み返します。しかし、あなたはそのメモの意味がわかりません。あなたと過去の自分は他人だからです。

すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術 (星海社 e-SHINSHO)

先の「なんでも書く」で書いたように、私はメモをしながら読書をします。メモをし、それを読み返すとあることに気がつきます。過去の自分のメモの意味がわからないのです。余白にメモを取ると、字が雑になったり、文章が整っていなかったりします。

過去の自分、未来の自分は他人です。だから、他人に向かって発信する気持ちで書いた方が、メモは後になって生きたメモになります。

外に発信する

そうは言っても、なかなか他人に書くつもりになって書く、とは難しいものです。私は、まだ未来の自分が他人であるということを認識できていないようで、ついつい「これくらいでわかるだろう」と思いながらメモします。もちろん、そういったメモは後から読んで、なんでこんなメモをしたんだ、となることが多いです。

だから、いっそのこと他人に向けてメモを書くことにしました。今はSNSを使って誰でもなんでも情報発信ができる時代です。これを利用します。

本を読みます。これはと思ったところに線を引きます。余白に思ったことをなんでも書き出します。しばらくしたら、メモを読み返します。そして、そのメモをもとに、再度感じたことをTwitterに書き出します。


最初は「誰が読むんだこんなツイート」と思っていましたが、始めてみるとなかなか反応があって嬉しいです。「過去にこの本を読んだ」「面白そうなので書います」などの反応をもらいました。反応があると、やはり嬉しいですね。もし、誰かの背中を押して些細なものでもきっかけになるのであれば、もうしばらく続けてみようと思います。

ちなみに、上記のようにツイートとして書き足していった読書メモは、最終的にScrapboxに入れています。1項目1枚のカードにまとめ、こちらは習慣として見るようにしています。メモを振り返って読み、思ったことをまた別のカードに書く。これによって、読んだ内容が自分に浸透していくような、概念化されているような感覚を今は感じています。

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何冊読んだかは重要ではない

こんな様子で読書をしてみると、あらためて、読書は量ではないということがよくわかります。1ヶ月で10冊読むのと、1ヶ月で1冊をじっくり読むのとでは、本から得る量が異なります。本をみた、ではなく、本を読んだ、という充足感も得られるようになりました。

私たしは「本が好き」と聞くと「どれくらい読んでいるのか」という言葉をよく口にします。しかし、それは意味のない質問だということもわかってきました。このように本を読んでみると、本を読むだけでなく、外に発信することも含めて読書と捉えることができるようになります。そうなると、読むという行為は読書の一部であり、そこだけフォーカスしても意味がないことがわかります。

この形の読書は、しばらく続けていこうと思います。毎日少しずつ、読み進めていく感覚が今は心地よいからです。