分類するな、とにかく並べよ
ひょんなことから1993年の本を購入しました。野口悠紀雄著『「超」整理法』です。
いつもはささっと読んでしまうのですが、今回はゆっくりメモをとりながら時間をかけて読書してみました。途中、読んだ内容はツイートでアウトプットするなど、個人的に新しい読書法を試してみたのもこの本の思い出です。
やや話がそれました。今日は、この本に書かれていた内容をブログでアウトプットしてみようと思います。少々長いので、時間のある時に、あるいは日数をかけてゆっくり読んでもらえると嬉しいです。
ただ、私というフィルターを通しての感想なので、ここに書かれた内容は命名も含めて、この本に書かれたものとは異なります。これを書評ブログと呼んで良いのか疑問です。
筆者の意図した内容とは異なる部分もあると思うので、少しでも興味が出た方は(もしいたとしたら私は涙を流して喜びます)実際に購入し、読んでみることをオススメします。
とにかく分類せずに並べよ
まずはこの本の結論を。
それは、「分類するな。とにかく並べよ。」です
この「超」整理法は、その名の通りアナログやデジタルなどさまざまなものを整理する方法について書かれた本です。
223ページに書かれた内容をたった一言で表すならこうです。分類するな。とにかく並べよ。
一体どういうことでしょうか。次に続きます。
分類だけが整理じゃない
私たちは整理と聞くと、とかく分類をイメージします。例えば学校のロッカー。
この教科書は右、このファイルはこちらの教科書と一緒に左、という具合に物の種類を分類し、まとめ、配置することを整理というように解釈しています。
こういった整理の方法は、本書では「図書館方式」と表現されています。
多くの人が利用する図書館では、この方式での整理が採用されています。読みたい本があれば、内容によって分けられた書籍番号をもとに「あぁ。この辺にありそうだ」と私たちは目星をつけ、そして読みたかった本に辿り着くことができます。
デパートも同じく図書館方式が採用されています。
考えてみれば当然です。服や帽子、子供用の靴下が1階から5階まで雑多に置かれていた場合、私たちは買いたいものに辿り着くことはとても難しくなります。
つまり、分類による整理法=図書館方式とは、多数の人間が利用する場においては非常に有効な整理法なのです。
私たちは、小さな頃から「身の回りを整理しなさい」と耳にタコができるくらい言い聞かされてきました。
この場合の整理とは、分類わけによる図書館方式です。しかし、個人の整理において分類による整理はベストな手法ではありません。
分類による図書館方式は、さまざまな問題を引き起こしてしまうのです。
分類が引き起こす問題
コウモリ問題
分類が引き起こす有名な問題は、コウモリ問題でしょう。
コウモリは、獣と鳥の両方の性質を持っているとして、どちらにも属してしまう(分類不可)な存在です。これに因んで、AにもBにも当てはまるものはどちらにも分類できないといった問題のことをコウモリ問題と称します。
私たちにとって具体的な例を挙げます。例えば、パソコンで今年の運動会に使うファイルを作成したとします。
あなたは、このデータを共有サーバのいずれかのフォルダにしまおうと考えています。しかし、目の前には「令和3年度」「行事」という2つのフォルダがあります。
あなたが作成した今年の運動会ファイルはどちらにも属してしまうため、あなたは目の前のファイルを正しい位置にしまうことができません。これがコウモリ問題です。
誤入問題
分類が引き起こす問題で、私が個人的に一番厄介だと思っているのがこの誤入問題です。
誤入問題とは、ファイルなどが誤って本来あるべき(あった)場所ではない場所に片づけられてしまう問題です。誤入問題が起こると、(ほとんど二度とといって良いくらい)ファイルを見つけることができなくなります。
例えば、先程の「今年の運動会ファイル」を用いて説明しましょう。あなたは「行事」というフォルダを開き、数十もあるフォルダから>生徒活動>令和3年>運動会といった具合にいくつもの階層を経て、作成したファイルを片づけました。
そして、しばらく時間が立ってから同じファイルを開こうと、フォルダをたどっていきます。しかし、「そこにしまったはずのファイル」をあなたは見つけることができません。
なぜなら、別の人が別の階層>令和3年度>2学期>運動会にファイルを移動させてしまったからです。あなたは、あなたが作成したデータを見つけることからまた始めなければなりません。これが誤入問題です。
フォルダ内肥大化問題
あなたは4月に新しい学校に赴任しました。初めて職員室のPCに触れます。共有サーバにどんなファイルがあるのか少し見てみましょう。新しい学校について何かわかるかもしれません。
PCの共有ドライブをクリックします。すると、上から下まで無数とも言えるフォルダが並んでいます。しかも、あなたにはそのフォルダが何を表しているのか、まずはどのフォルダをひらけば良いのか全く検討もつきません。
これがフォルダ内肥大化問題です。
新しい年度が始まると必ず新しいフォルダが生まれます。R2のフォルダからR3のフォルダへの引っ越しから新年度は始まります。また、コウモリ問題を解消すべくより細分化したフォルダが生まれてきます。新たな行事や分掌が生まれると、そこにも新しいフォルダが生まれ、その中にもいくつものフォルダが生まれます。
エントロピー増大化問題という問題があります。どんなに秩序だったものでも、時間がたつにつれて無秩序になっていく、という問題です。これは、元々は熱力学や統計学で使われていた言葉のようですが、この問題はあらゆることに当てはまります。
物事はやがて乱雑に散らかっていくのです。分類による整理は、やがては手がつけられない状態になっていく性質があるのです。あなたのせいではありません。
無数のフォルダができてしまうことにより、先に述べたコウモリ問題や誤入問題がより起こりやすくなります。それぞれの問題は関連しあってより複雑に進んでいってしまうのです。
inbox肥大化問題
最後は個人のファイル管理によくみられる問題です。
分類にはコストがかかります。あなたは今、あるファイルを作成しました。これをどのフォルダに入れようか迷っています。しかし、該当するようなフォルダがいくつかあり(コウモリ問題)、あるいはどのフォルダにも該当しないように思えて、どこにしまおうか迷います。
そんな時、あなたを助けてくれる解決策としてinboxフォルダがあります。あなたは、とりあえずこのinboxにファイルを入れて、後で新しいフォルダを作るかどのフォルダに入れようかルール作りを行うこととしました。
この問題の悪いところは、ファイル制作者はinboxに片づけることで、とりあえず分類したと思ってしまい、後から分類しなおすことを避けてしまう点にあります。そうすると、inboxにはやがて様々なフォルダが「ここにいるべき」という顔をして存在するようになります。
inboxは日本語で「その他」というカテゴリーに置き換えることができるでしょう。ブログを書いたことがある人は、その他カテゴリーを作ると、どんどんとその他に記事を分類し、やがてはほとんどの記事がその他に分類されていることに気がつくはずです。
inboxに無数のファイルがあることで、私たちはそれを目にして疲弊し、いつしか分類する整理を諦めます。これがinbox肥大化問題です。
個人のデータ管理においては分類は非効率
図書館など分類がきちんと固定化されているものは、上で書いたような問題を引き起こす可能性は低いでしょう。
しかし、私たちの仕事はもっと流動的で、分類は常に変化していくものです。
昨日までは「運動会」という場所にあったファイルは、今日は「令和3年」という場所にあった方が便利かもしれません。あるいは、そのように考えて誰かがファイルを移動させてしまうかもしれません。
モノが少ない時代においては、分類はあらゆる課題を解決し、快適な体験を与えてくれました。しかし今はモノが溢れるほど存在する時代です。分類がベストな整理方法ではない場合が増えてきました。
デジタルにおいてはその問題はもっと顕著です。デジタルデータは量が可視化されないため、私たちは無意識に量を増やしてしまいます。紙だと3枚の資料を提出することは躊躇しますが、デジタルデータ(PDFなど)は平気で何十枚も資料として提出します。(そして、これは大抵、読む人の気持ちを考えた資料ではありません)
分類による整理の一番の問題は、メンテナンスコストが高い点にあります。誰かが、上に書いたような問題を避けるよう常時メンテナンスをしてくれれば良いのです。図書館に司書さんがいるのは、上で書いたようなコウモリ問題や誤入問題を解決するためです。
残念ながら、私たちの多くは、私たちの代わりに分類してくれるような秘書を雇うことはできません。職員室のデータを整理することを専門とするような人もいません。まさかこれを読んで、「情報科の先生に、職員共有サーバを管理してもらおう」という人はいませんね。それこそ大問題です。
時間軸による整理
パレートの法則
「必要なものの8割は全体の2割でしかない」というパレートの法則を耳にしたことがありますか。書類で例えれば、あなたが頻繁に使う書類は、全体の2割程度だということを示した法則です。
つまり、残りの8割はほとんど使わない、あるいは二度と使わないと言えるのです。にもかかわらず、私たちはその8割を丁寧に分類わけし、決められた場所に片づけ、結果上記のような問題に頭を抱えるようになります。
では、整理とは分類による整理しか存在しないのでしょうか。その答えこそが本書のテーマであり、1993年としては新しい提案だったのです。
分類するな、並べよ
それは、「時間軸による整理」です。
本書では仕切りに「分類するな、並べよ」と提案されています。これは何の書類か。何に使うデータなのか。そんなことは一切考えずに、ただただ使った順に並べよ、という提案です。
そして、並べて、使ったら最新の場所に移動します。その繰り返しです。紙の書類を片づける場所を内容ごとに分けることもしませんし、データファイルをフォルダで分けるなど一切行いません。ただただ並べよ。
お気づきの通り、今のPCはデータの更新時間をメタ情報として記録してくれるので、私たちはクリック一つで設定し、あとはPCがひたすら時間軸で並び替えてくれます。これで先に書いた分類による諸問題からも解放されます。
そろそろ「そんなことをして必要なファイルがすぐに手に入るのか?」という疑問が出てくる頃でしょう。安心してください。手に入ります。これも、パレートの法則で説明することができます。
必要なものの8割は全体の2割でしかない。ということは、あなたが必要としているのは無数にあるファイルのうち上から2割程度にある確率が80%ということです。時間軸に並べれば、分類フォルダなどをクリックなどせずにお目当てのファイルを見つけ出すことができます。
この方法を行うことで、あなたは新しいファイルを作成した時に発生するコウモリ問題からも、正しい分類がなされずに二度と該当ファイルを見つけ出すことができなくなる誤入問題からも解放されます。
また、上2割を探しても見つからなければ、検索を行えば良いのです。PCでデータ管理する一番のメリットは、人間にはできない量の検索を行える点にあります。共有サーバ全体の検索は時間がかかりますが、個人が使う量のファイル(数百程度)であれば一瞬で探し出すことができます。
メンテナンスコストを下げる
ただ並べるだけ、の最も優れている点は、メンテナンスコストを下げる点にあります。どんなに秩序だったものでも、時間が経過するにつれて無秩序の方向に進んでいくというエントロピー増大の法則というものがあります。
私たちが、一生懸命分類し整理したと感じても、やがては散らかり、煩雑になる未来が待っています。分類には上記のような諸問題を抱えているからです。
ただ並べるだけも同様に、時間が経つにつれて無秩序に進んでいきます。しかし、この場合の無秩序は一見秩序がないように見えて、トップにあるものが最新のもの(よく使うもの)という特性があります。そして、それはあなたが頻繁に使うものでもあります(パレートの法則)
少し話を変えます。長く快適に使っていくためには、メンテナンスコストを下げる取り組みが必要という話です。
Notionというノートアプリが一時期流行りました。私も例にもれなく、Notionに憧れを抱き、いろんなことができる点に魅力を感じ、私の生活をより豊かにするべくNotionをインストールしました。
しばらくは自分のあらゆるデータをそこに書きました。読んだ本リストを作成し、時間割を作成し、アイディアメモを作成しました。調子良く小気味よく様々なデータベースをNotionに構築しました。
でも、それだけです。つまり、データベースを作成した後、徐々にNotionから足が遠のいていき、やがては起動しなくなりました。
ここで一度断っておきますが、Notionが優れていないわけではありません。私が優れていない、というのも少し違います。Notionを扱うには、少々メンテナンスコストが高かったのです。
私たち教師はいつもPCを前に仕事をしているわけではありません。スマホを手にしているわけではありません。また、私の場合は家に帰ってからも長い時間PCを触る時間はありません。そうなると、Notionをメンテナンスする時間はとりづらいのです。
私の代わりにメンテナンスをしてくれる秘書を雇うのであれば話は別です。しかし、個人のデータ管理にそこまでお金を払う人もいないでしょう。やはりメンテナンスは個人でやる必要があり、そしてそのためにはいかにコストを下げるかは重要な課題です。
とにかく分類せずに並べよ
とにかく分類せずに並べよ。ひたすら使った順に並べよ。この本の内容をたった一言で表すのであれば、これに尽きると思います。
分類による諸問題を解決しながら、それでいて長く続けられる方法。昔はアナログでこの方法を行なっていました(例えば押し出しファイル)が、今ではデジタルでこの方法は簡単に仕組みとして取り入れることができます。
注意点としては、これはあくまで個人のデータ管理における方法であり、そこに他者を参加させてはならないという点です。時間軸が意味を成すのは、あくまで私個人による時間軸であり、他人にとってはやはりただの散らかったものでしかありません。
「時間軸にソートをかければ全てうまくいく!」と書かれていない点もこの本の優れた部分だと思います。(逆を言えば、昨今の○○術はこのあたりが盲目的で胡散臭い)
この本が書かれた1993年はまだスマホはおろかPCまでもが市民権を得ていなかった時代。その時代に書かれた本ですが、30年近く経った今でも十分伝わる内容です。
むしろ、30年経ってPCやデジタルが普及して、ようやく私のような一般庶民が理解できる内容になったとも言えるかもしれません。淳先生、良書との出会いをありがとうございました。
ICT LABO夏季オンライン研修についての報告書【業務改善】【Scrapbox】
ICT LABOメンバーでオンライン研修会を行いました。研修会といっても、堅苦しいものではなく、「なんとなくみんなに伝えたいこと」を発表しながら、自由に発言して交流しあうようなゆる〜いGoogle Meet会です。
スプレッドシートを使って出席簿を管理するという発表や昨今の多様性をテーマにした発表など、ICTに関わるものだけに留まらず、多岐にわたる内容があってみんなでわいわい楽しみました。今日はその中でも、2つの発表を紹介します。
本来ICT LABOは比較的閉じられたコミュニティで、自分たちの学校の取り組みを安心して伝え合うことが趣旨のコミュニティなので、今日の内容は大まかなものしか伝えられないかもしれません。また、あえて発表者の名前もあえて伏せています。もしこのコミュニティに興味がある方は、私のTwitterアカウントにDMで連絡ください。
業務効率化について
なぜ効率化が必要なのか
今、教師の働き方改革や業務効率化が大きく注目されています。文科省も、働き方改革の事例集を紹介するなどしています。
さまざまなことが見直されていますが、今は結局個人レベルや学校単位で出来ることをそれぞれが行なっていくしかないのが現状です。
そもそも業務効率化は、なぜ必要なのでしょうか。それは、「教師の心身の『ゆとり』は生徒・児童にも還元れる」からです。
これについては、今の時代ではすでに自明になりつつあります。日本全国で業務効率化、働き方改革と言われ始めて数年、最近では働き方改革の事例集というものも文科省から出るようになりました。喫緊の問題として扱われています。
しかし、こういった事例紹介は非常に有効ではあるものの、結局個人の意識や行動が変わらないと何一つ実現されません。下の方から変えていく意思が必要なのです。
発表では、個人レベルでの業務改善が紹介されていました。いくつか抜粋して挙げます。
- 机上整理
- ペーパーレス化
- 授業スタイルの見直し
- 「やめられること」は徹底的にやめる
- 自動化できるものは徹底的に自動化する
デジタル採点
また、発表の中には先生方が日頃効率化したいと思っているものをアンケートで挙げてもらった内容も紹介されていました。
- アンケート自動化
- 提出物確認&記録
- 成績処理時短
- 採点時間短縮
この中の一つ、採点についての話が盛り上がったので紹介します。皆さんの学校では、「デジタル採点」は導入されていますか?あるいは、聞いたことがありますか?
答案用紙をスキャナーで読み取ることで、PC上で丸つけ、点数記入やExcel管理までできる優れものです。私は、ここで初めてこの存在を知りました。問題ごとに生徒全員の解答を並べて採点することもできて、時間短縮&採点ミス減少&分析もできる素晴らしいツールです。
特に、導入された先生方の話を聞くと、採点時間が半分以下になったのだそうです。ICTやAIを活用するとは、まさにこういった機器による補助が今の時点ではとても有効なのだと思います。
時間は有限です。ここに必要な投資を行い、業務改善が行えるのだとしたら導入しないという選択肢はありません。
値段は個人だと2万程度、学校単位だと10万程度だそうです。無料のお試し期間もあるので、私もまずはやってみようと思います。
Scrapbox
みんなで共同作業をすることの楽しさ
私の発表ではScrapboxを皆さんに紹介しました。ICT LABOのプラットフォームとして先日、 Google ChatとScrapboxを導入したので、これを機に皆さんに知って欲しいと思ったためです。
作戦はまあまあ成功したのではないでしょうか。みんなで思い思いにScrapboxを触りながら、あーでもないこーでもないとワイワイガヤガヤと楽しむことができました。
Scrapboxは、自分以外の誰かが編集していると、そこに名前が表示されるようになっています。同じことはjamboardなどのGoogleツールでもできますが、このように、誰かと共同作業することって楽しいんですよね。
人の名前が表示されているだけで、なんだかワクワクするような高揚感を覚えます。自分ではない人がそこにいるのだと認識できるんですよね。やはり人は人とつながっていることが嬉しいようです。
いろんな人がカードを作ると楽しい場所
Scrapboxは、いろんな人がカードを作るのが楽しいツールです。以前、SocialなScrapboxと表現しましたが、共同編集でさらに力を発揮するツールだと思っています。
Wikiリンクと呼ばれる、[ ]かっこをつけることで、カードとカードがつながる感覚。私が書いたカードが、誰か別の人が書いたカードとつながった瞬間、なんとも不思議な気持ちになります。
書く内容はなんでも良いのです。文章は何度も書いて、読み返して、そしてまた書き直すことで人は考えることができるのでした。
「すべてはノートからはじまる」あなたの人生をひらく記録術【感想】 - MOLOG
ただ、なんでも良いと言われるとさらに「何を書いて良いのかわからない」という状態になりそうなので、以下のようなものから書いてみてください。
- Google Chatに投稿した質問とその回答を書く
- GIGA端末についての日記(今日こんなことをしました)
- 研修などで得たものをまとめる
Scrapboxは、書きかけのものでも構いません。むしろ、ちょっと書いてみて後で編集する、といった方が記憶に残るそうなので積極的に書いてみてください。
人は外に発信することで、効果的に学習することができます。一日1ページでも、数行でも書いてみてください。
おわりに
こんな具合にゆる〜く運営しているのがICT LABO(あいらぼ)です。あいらぼのラボはラボラトリーのラボ。実験の場です。
実験とは、失敗をして知見を貯めることです。だから、ICT LABOでは失敗をしてください。失敗をしない方法は何もしないこと。何もしなければ成長はできませんからね。
どうせ顔も名前も知らない仲間です。恥ずかしがらず、失敗してください。そして、得た知見をそれぞれの学校に還元してください。そのためのお手伝いが少しでもできたら幸いです。
人はどのようにして記憶するのか『Learn Better』
学校は日々たくさんの知識や情報を生徒に与えています。
教育に携わる身として、この与えられた情報はどのようにして記憶していくのかについて、以前から興味がありました。
今日は記憶について、そして覚えるためには何が必要かについて書いていこうと思います。
2種類の記憶
短期記憶と長期記憶
ご存知の方も多いと思いますが、まずはこれについて話をしていきます。
記憶には、短期記憶と長期記憶の2種類があります。
短期記憶とは、保持期間が数十秒程度の記憶である。保持時間だけではなく、一度に保持される情報の容量の大きさにも限界があることが特徴とされる。
長期記憶は保持時間が長く、数分から一生にわたって保持される記憶である。短期記憶とは異なり、容量の大きさに制限はないことが特徴とされる。
参考記憶の分類
この辺りは皆さんご存知だと思います。
そして、2種類の記憶について大事な点があります。情報はまず短期記憶に入り、その一部が長期記憶へと移る、ということです。
つまり、長い時間覚えているようにするには、まずは覚えておきたいことを短期記憶へと入れる必要があるわけです。
人は短期記憶が苦手
短期記憶の特徴を一言で表すとしたら、「短期記憶は、入り口が非常に狭いトンネルのようなもの」と表すことができます。
短期記憶について抑えておきたい特徴は以下のものです。
- 数十秒程度の記憶
- 短期記憶の容量は小さい
- 短期記憶に入ったものだけ長期記憶へとうつる
短期記憶の入り口は非常に狭いため、一度に多くの知識は短期記憶の入り口を通ることができません。Learn Betterではその例として電話番号について紹介されていました。
あなたにも経験があるだろう。人から自宅の電話番号を、例えば二三一・五五五・〇九一二などと教わっても、瞬時に忘れてしまう。せいぜい最初の三桁が記憶に残るくらいだ。
人は、長く覚えていることが苦手というよりも、頭に情報を入れることが苦手と言えます。
一方、長期記憶はむしろ覚えれば覚えるほど容量が増えていきます。
例えば、私たちは小さな子どもに比べて遥に多くのこと(歴史の年表や数式計算など)を覚えているはずです。
「短期記憶は長期記憶への入り口である」「その入り口はあまりに狭く、私たちはあらゆる情報をほとんど頭に入れることなく取りこぼしている」と言うことができます。
記憶するために必要なこと
時間をかけて繰り返し覚える
では、記憶するためには何が必要なのでしょうか?結論から言うと、「時間をかけて、何度も繰り返し情報に触れること」です。
忘却曲線という言葉を聞いたことがあるはずです。人は頭に情報が入ってから、曲線を描きながらものを忘れていき、復習することで記憶が強固になっていくというものです。(画像はWikipedia)
ちなみに有名なエビングハウスの忘却曲線では、意味を持たない子音と母音の組み合わせをいかに記憶しているかという実験により得られた結果なので、相互に意味をもつ学習内容についてはもっと緩やかに忘却していくとも言われています。
先生方がよく言う「授業をして1時間経つと6割忘れる!」は、学習においては当てはまらないと思われるので、注意してください。
学校は圧倒的に復習が少ない
「時間をかけて、何度も繰り返し情報に触れること」が、覚えるのに必要なことでした。何度も言うように、情報は短期記憶の入り口を通って長期記憶に移りますが、まずはその短期記憶の入り口を通るのが大変なのです。
「私は覚えるのが苦手なんです」と公言する生徒は、覚えようとする機会が少ない場合がほとんどです。「私は」ではなく、「人は」なのです。一度や二度覚えようとしたからといって覚えられるほど、人の脳は賢くありません。
最近ではspaced repetition(間隔反復)やspaced learning(分散学習)という言葉をよく目にするようになりました。昔は五感を刺激して勉強しろ!と言われましたが、結局数回覚えようとしただけでは覚えられない現実を何度も突きつけられました。
さて、時間をかけて何度も繰り返し情報に触れることが覚えるのに必要なことだとすると、学校という場所においては非常に厄介なことが起きてしまいます。
学校は、圧倒的に復習する機会が少ないのです。
生徒は、教科書を使って毎日毎授業、新しい知識を詰め込むのに精一杯です。私たち教師も、教えることに忙殺されてついつい復習は生徒に任せて(押し付けて)しまっています。
昨日習ったこと、一週間前に習ったこと、1ヶ月前に習ったこと。これら雪だるま式に増える学習内容を復習するには、あまりに時間が少ないです。
とはいえ、「大変だから復習できません」ではあまりに乱暴です。少なくとも私たち教師が「覚えるには時間をかけて繰り返し情報に触れることが必要」ということをわかった上で授業するだけでも、多少変わってくるでしょう。
また、最近は生徒が教える活動も増えてきました。この活動の是非はともかくとして、この教えるという行動は、人が記憶するのに効果的に働くようです。教える際に、生徒は色々な情報を頭で思い出すことができるからです。
これからの学校では、デジタルツールも簡単に復習するツールとして活躍してほしいところです。スタディサプリやAnkiというアプリを使えば、一人一人に適した復習を自動的に行うことができます。これは今まで出来なかった学習かもしれません。
おわりに
今日の内容は、Learn Betterという本に書かれている内容をもとに書きました。
書いてあることは当たり前に感じるかもしれませんが、教育に携わる人間として読んでおいて良いと思われる一冊です。
独学大全もこのLearn Betterも、「これさえやればうまくいく」という妄言で誤魔化すことなく、はっきりと「そんなものはない」と明言することから始まるので好感が持てますね。この夏休みにぜひ。
「すべてはノートからはじまる」あなたの人生をひらく記録術【感想】
夏休みは平日毎日spaceを開いて会話を楽しんでいます。先日は、魚住惇先生とお話しすることができました。「教師のiPad仕事術」の著者の方です。
魚住先生については、以前から魚住先生のブログやpodcastのファンで何年も前から知っていました。その方と初めてTwitterでやりとりをした時の感動は覚えています。「あ〜画面の向こうの人とやりとりができる時代なんだな」と。
今回、生魚住先生とお話をすることができ、とても感動しました。ご自身は一般の高校の先生なので、そんなことを感じてはいないと思いますが、発信者は受信者からすると憧れの存在なのです。
また、昨日はTwitterでPADAoneさんにフォローしてもらいました。このフォローしてもらっただけでなんだかお友達への第一歩を踏み出せたように感じ、勝手に喜ぶあたりに私の小物感が滲み出ていると思います。
PADAoneさんは、私が最近ハマっているAnkiやobsidianで有名な方。知的生産と呼ばれるその界隈ではとても有名な方です。
インターネットって、人と人と繋ぐツールだよなぁと改めて感じました。
さて、今日は私にとって上記のお二人のように、憧れの人の一人、倉下 忠憲さんの新刊「すべてはノートからはじまる」を購入、読んだのでその感想をまとめようと思います。
人はノートという外部リソースを使うことで進化した
本書でのノートの定義
この本のタイトルにもあるノートとは、普段私たちがノートと聞いてイメージする大学ノートのようなノートブックとは違う意味で定義されています。厳密にいうと、ノートは英語圏の人に言わせるとノートブックで表現するので、本来のノートの意味は後述する本書での意味の方が相応しいと言えそうです。
ここでいうノートとは、やることリストを書くための付箋やアイディアやスケジュールを書くための手帳、日記日誌日報…またそれらの用途で使われるデジタルツールなど、ありとあらゆるもの(時には行動)をノートとして定義しています。
この本はよくある「○○をすればうまくいく」といったノート術を紹介する本ではなく、あらゆる記録するツールを含めたノート論について書かれた本という認識で読んでいくと良いと思います。
本文中にもいくつかノートについての技法が紹介されていますが、この本のメッセージはその技法をどうこうしようというものではないと思われます。何か具体的なノート術を得ようとしてこの本を読むと、期待にそぐわないことが起きるということです。
あらかじめその点を知ってから読むと、この本のメッセージを筆者の望むかたちで受け取ることができるはずです。逆に、この感覚がうまく消化されないと、読み手にとっては少々辛い読書になってしまうかもしれません。
とはいえ、倉下さんの文章は非常に読みやすいので、読んでいるうちに知らず知らずにこの辺りの概念が浸透していくかもしれません。梅棹著「知的生産の技術」や野口著「「超」整理法を読んでいない私にとって、この本は、書くという行為を哲学レベルにまで概念化する素晴らしい一冊となりました。
ノートはチート
この本の導入は、人がいかにしてノートという外部ツールを用いて進化してきたかで始まります。この導入からすでに、本書がよくあるノート術の類ではないことが伝わってきます。人は、書くことで広く伝えることが可能になり、より深く考えることが可能になったのです。
それはちょうど、インターネットの普及により、これまで交流することが難しかった人同士の交流が簡単にできるようになったり、誰でも専門的な知識を手軽に手に入れることができるようになったりしたことに似ています。ノートを扱うことは、インターネットの次元より遥に大きな進歩をヒトに与えてくれました。
人は、ノートという外部リソースに頼ることで発達していきました。そういった意味で、ノートはチートなのです。
さて、この感覚を私たち教師はどれだけ持っているでしょうか。盲目的に黒板に書かれた文をノートに書き写して終わり、という授業をしていきてはいないだろうか。ノートをチート的に使うことができているだろうか。
ノートの力は偉大です。生きる上で、モノを考える上でとんでもない力を発揮します。しかし、それは黒板の文字をコピペしただけでは不十分です。学生にとっては、1日のうちほとんどをノートと一緒に生活しています。
脳はノートという外部ツールに頼ることで、より深く考えることができます。どうしたらより深く考えることが可能になるか。本書の第四章では「考えるために書く 思考のノート」としてこの部分について書かれていました。
ノートを使って考える
考えるとは
そもそも私は、アイディアを引き出すためにはどうすれば良いのか、ノートを使って考えるにはどのようにノートを書けば良いのか。その技術のヒントを得たいと思ってこの本を手に取りました。(実際にはアマゾンでポチッとしたわけですが)
先の疑問についての結論としては、「書いたノートをもう一度読む」ことで、私たちはノートを使って考えることができるようになると書かれています。
この第四章は、まず「考える」とはどんな行為をしますのか定義するところから始まります。数学を専門教科とする私にとっては、定義から始まる文章はとてもワクワクします。この後に論理が展開されることが予想できるからです。
人は、情報を目や耳などで受け取ると直感的無意識にそれを処理します。本書では、この処理のことを「思う」と定義しています。
そして、「思ったこと」について意識的にもう一度、再処理することを「考える」と定義しています。そのように定義することで、考えるためには何が必要かがしっかりと論理的に説明することができます。
「腹が減ったな」と頭に思い浮かぶことが「思う」。「何を食べようか」「なんで腹が減ったのだ」「昨日何食べたっけ」と思ったことについて再処理することを「考える」としたわけです。
考えるためには
いよいよ私の疑問であった「考えるためにはどうノートを使えば良いのか」が先程の定義によって明らかになっていきます。
再処理することを「考える」とすれば、「思ったこと」をノートに書き留め、もう一度読んで再処理すれば「考える」ことができます。つまり、考えるために、私は一度書いたものをもう一度読み、そこで思ったことをまたノートに書けば良いわけです。
なんとも当たり前のような、それでいてこれまで殆どできていなかった回答が得られました。
これまでは、obsidianなどで読書メモやアイディアを書いてきましたが、読み返すことはあまりしていませんでした。読み返すことは大事とされながら、なんとなく思ったことを書き出すことで手一杯だったような気がします。
定期的に考えるために、obsidianにSpaced Repetitionというプラグインを導入しました。過去にごりゅごさんがメルマガで紹介していたものです。これで、効率良くノートを見返すことができるようになりました。
読書は余白にメモをしながら読み、一章読み終えたところでそのメモを読んでさらにメモを書き足すという方法で考えながら読むようにしています。今のところ、一定の手応えをかんじています。
書いたことを読み返すことで、人は考えることができる。ここから展開される、学校で生徒が考えるようになるためには?について考えても良さそうですが、今からこれについて書くには余白が足りません。
いずれにせよ、きちんと論理立てて書かれているためシンプルながらも説得力ある回答が得られて満足しています。わかりやすい文章はそのまま読み手の行動を変えやすい。
しばらくノートを読み返すことを続けていこうと思います。
おわりに
本書はあらゆる記録するためのツールをノートとして、ノートがいかにヒトの進歩に役立ってきたのか。どのような役割があるのかについて書かれています。
あらゆるノート術についての本を内包するノート論が書かれた本。ノートの定義が秀逸だったためにこのような本が完成できたのだと思います。
わかりやすい言葉で書かれていながらも、深いところまで読者を導いてくれる一冊です。普段一日中ノートをとらせる学校の先生に知っておいて欲しい内容がたくさん書かれていました。
Personalなobsidian、SocialなScrapbox
デジタルノート放浪の旅が一区切りつきそう
デジタルにアイディアや日記を書くようになってどのくらい経つでしょうか。
Evernoteにはじまり、Dynalist、WorkFlowy、Dayone、Notion、Scrapbox…。
これまでさまざまなアプリを使ってきました。
初めて使ったEvernoteはとても可能性を感じるアプリでした。
しかし、多くの人がそうなったように、私もEvernoteに入力したデータを後で読み返すことはほとんどせず、やがてデータを死蔵させてしまっていました。
Evernoteは最高のinboxツールであり、なんでも放り込める安心感があるツールですが、知識や日記を管理するには少々重いツールです。
Evernoteの経営上のトラブルによる改悪が行ってしまうようになってから(現在はまた改良が進んできました)、私はデジタルノートと呼ばれるアプリ探しの旅に出るようになったのです。
上で挙げたそれぞれのツールについて一つ一つ説明するには、あまりにも時間と労力がかかってしまうため、ここでは行いません。
先人たちの素晴らしい記事を紹介して話を先に進めていきます。
私の愛しいアップルパイさん、noteでobsidianをマガジンにまとめている滝林さんの記事は何度も読みました。
さまざまなアプリを使い移り、また戻ってきてを繰り返し、ようやく今は一つの答えを得られたのです。
ちなみにこの「これが答えだ」という感覚はこれまでも何度も感じてきました。
そして、今回もこれまでと同様、しばらくしたらまた別のツールに移るかもしれません。しかし、ひとまず今日今この瞬間の私の使い方を書き記すこととします。
Personalなobsidian
個人で使うノートとしては、obsidianを使うことが定着しました。
いくつか理由はあります。
- 階層ファイル管理でなく、リンクフラット管理である
- mdファイルとして保存される
- 起動や編集が早い
階層ファイル管理ではなくリンクフラット管理である
まずobsidianの気に入っているところは、階層ファイルベースではないところです。
全てのノートがフラットに位置付けられ、それぞれのノートがリンクによって繋げられていきます。
リンクフラット管理(正しくはリンクドフラットだと思いますが、語呂が悪かったので)とでも表現することができるでしょうか。私たち教師にとっては馴染みのないファイル管理方法です。
これにより、ノートが死蔵されることなく、いつまでも活用することが可能になりました。
後述するScrapboxでも同じことが言えますが、この機能が私にとってはとても重要でした。
EvernoteやNotionでもやろうとすればできますが、この「やろうとすればできる」では、私には不十分だったのです。
何も考えずにとにかくノートを毎日書く。そして、読み返す。
単語に二重括弧によるリンクをつけることで、過去のノートとつながる。
そうすることで、過去にも似たようなことを考えていたことがわかったり、別の分野だと思っていた知識と繋がったりする発見があります。
私は、学習とは「情報と情報をつなげること」だと思っています。
読書メモや深く考えたことをobsidianに書くようになって、ずいぶん学習が進んだと感じています。
私にはこの管理方法が必須だったようです。
mdファイルとして保存される
mdファイルとはなんぞやという人もたくさんいるでしょう。少し前まで私も同じでした。
mdファイルとは、マークダウンファイル。いろんなアプリで開くことができるテキストファイルです。
簡単に説明します。
例えば、Notionでページを作った時、そのページはNotion経由でしか開くことができません。
私たちがよく使うWordも同じく、Wordで作成したファイルはWordを使って開くことが前提とされています。この辺りは厳密にいえば拡張子うんぬんという考え方がありますが、ひとまずここでは先の文章のように説明します。
obsidianで作成したページは、mdファイルという一つのファイルとして端末に保存されていきます。
このファイルはobsidianでなくとも、mdファイルを開くことができるアプリを使えばどのアプリからでも開くことができます。
ほとんどどの端末からでも特にアプリをインストールせずとも閲覧は可能です。編集も、VScodeなどコードを扱うアプリなどで簡単に行うことができます。
アプリを経由しないということは、アプリが消えてもファイルが残っているという安心感につながり、アプリに縛られない開放感すら感じます。
mdファイルの良さは他にもあります。あくまでも作成したページはファイルとして扱われるので、Spotlight検索などで検索閲覧することが可能なのです。
これまでは「あのページが見たいな」と思ったら、アプリを開いて、検索してという過程が必要でしたが、アプリを開く過程がいらなくなるわけです。
これも地味ですが、ちょっと閲覧したいなというときにとても便利です。
SocialなScrapbox
私は今、個人で使うノートの他に、複数人で使うノートがあります。ICT LABOというコミュニティで扱うノートがこれに当たります。
私にとってのScrapboxの良さは次の通りです。
- 階層ファイル管理でなく、リンクフラット管理である
- ブラウザベースである
階層ファイル管理ではなくリンクフラット管理である
先述したobsidianと全く同じ理由です。何度も言うように、私にとってはこの階層ファイルではなくリンクフラットベースの管理方法が必要不可欠なのです。
[ ]ブラケットと呼ばれるこの記号で単語や文章を囲むことで、新しいページが作成されそれらがリンクされる。
リンクされることで、過去にも同じようなことについて考えていたのだと、記憶が呼び戻される。
これにより、データの死蔵がされにくいという安心感を得ることができます。
安心感があることで、また新しいページを作成することができる。
階層ファイル管理だとどのファイルにページを入れようか迷ってしまうのです。ページを作成するのにこの余計な思考にリソースを割くのはもったいない。
そんなわけで、リンクフラット管理なScrapboxを採用しました。
ブラウザベースである
複数人で作業をする場合、複数人編集に耐えられる強さはもちろん必要ですが、他に「始められやすさ」があることも重要です。
その点、Scrapboxはブラウザベースなので新しくアプリをインストールする必要はありません。
SafariでもChromeでもなんでも開いて編集することができます。
ICT LABOのポートフォリオとしてScrapboxを採用したのもこの理由が大きかったです。
Yukiさんを誘って二人で100ページ作成。その後数人の人たちに公開しましたが、ページが見れませんという声は聞こえてきませんでした。
集合知として活用する上で、この導入コストがほぼゼロというのは非常に大きいです。
用途によって使うアプリを分ける
上に書いた2つのツールは、別に逆でも同じように使うことができます。
個人でScrapboxを使うこともできるし(少し前まで私は個人でも使っていました)、複数人でobsidianを使うこともできます。
公開しやすさなどのちょっとした違いから、ツールをあえて分けました。
同じようなアプリでも、用途によってアプリを使い分けることで、結果的に利便性が上がるというのは最近よく聞きます。
同じメモツールでも、メモの内容によって純正メモやGoodNotes5など使い分けるという人もいます。
そんなわけで、私は、Personalなobsidian、SocialなScrapboxを活用しています。
ICT LABO(あいらぼ)プラットフォーム移行について
この度、GIGAスクール構想についての情報共有コミュニティ【ICT LABO(あいらぼ)】のプラットフォームを変更しました。
この記事は、プラットフォーム移行の経緯について書いています。
もしICT LABOのメンバーでない人は、先にこちらの記事を読んでみてください。
そして、一緒に勉強していきたい!という方は、ぜひ下記のフォームに参加するアカウントのGmailアドレスを送ってください。
みなさんの参加、お待ちしております。
さてさて、今日の本題です。
classroomだった理由
classroomでなければならなかった
ICT LABO「あいらぼ」は、GIGAについて(広くはICT全般について)の情報を共有するコミュニティサークルとして立ち上げました。
2021年度より各学校にiPadやタブレットPCが配付されるなど、新しい取り組みが国の試みとして導入されました。
しかし、ややすると現場からは「どうせまた失敗する」というネガティブな声もたくさん聞こえていました。
GIGAをこれまでの試行と同じように失敗と呼ばせたくない。
現場の1プレーヤーとして何かできることはないか、と考えて立ち上げたのがこのコミュニティです。
誘ってくれたたいようさん、たんたろうさんのお二人にはとても感謝しています。
ICT LABO立ち上げの際にいくつかお二人と一緒に意見を交わしながら決めました。
その一つが、ICT LABOのプラットフォームです。
ICT LABOメンバー交流の場として、どのツール(アプリ)をプラットフォームとして採用するか。
そこで採用したのがGoogle classroomでした。
なぜclassroomを採用したのか。
それはズバリ、classroomに慣れる必要があったためです。
多くの学校で、タブレットPCとしてChromebookが配付されました。
ご存知の通り、Google OS端末です。
ということは、授業で扱う際に、Google classroomを使うことは必須です。
しかしそれまでの学校現場では、PCといえばWindows一択。
ブラウジングもIEで行われており、Chrome?なにそれ?というのが現状でした。
もちろん私も例にもれなく同じ状態。
そんなわけで、GIGA情報共有コミュニティとして、何よりも今後慣れていく必要があるclassroomを私たちは採用しました。
classroomだから得た知見
ICT LABOのプラットフォームとして、まずclassroomを採用したのは、個人的には大正解だったと思います。
ネット記事では伝わらないような、使っていないとわからない、さまざまな知見を得ることができました。
- 起動が遅い
- 一度起動したら割とサクサク動く
この辺りは、classroomは課題の出し入れという特徴から、授業に特化したツールである所以だと思います。
起動自体は休み時間や授業の始めに行えば、授業中は快適に動きますからね。
- 教師が生徒に課題を提示するための授業タブ
- 生徒同士で簡単にやりとりができるストリーム
あくまでclassroomは、教師と生徒という2種類の役割で活用していくためのツールなのだということがわかりました。
教師から生徒全体への連絡はスムーズに行えますが、生徒同士のやりとりをするのは少し弱いツールです。
課題を配付したり、トピックを作成して整理したりと、ここでたくさんの知見を得ていたおかげで、4月からのGIGA本格的導入時にはある程度の前知識を得た上で運用することができました。
なぜ移行したのか
チャットツールとしては弱い
先ほども書いたように、私たちはGoogle classroomに慣れていく必要があったため、プラットフォームとして採用してきました。
しかし、classroomはプラットフォームとして運用していく上で、いくつか弱点があることにも気が付きました。
- 起動が遅い
- 通知が来ない
classroomは、あくまで授業の際の課題の提示回収がメインのツールです。
そもそもチャット機能を想定されて作られていません。
そのため、私たちのようにチャットとして運用していこうとすると、難しくなってしまいます。
また、GIGAが本格的に導入されてから3ヶ月。
授業でもclassroomを使うことも増えました。もはや当たり前になりつつあります。
「classroomに慣れる」という当初の役割は達成されたかな、とも思ったため、今回移行を決めました。
交流を活発にするため
ICT LABOはメンバー総数500名を超える大きなコミュニティとなりました。
何かわからないことをclassroomのストリームに書き込むと、誰かが反応してくれる状態にはなりました。
しかし、ここ最近はめっきり交流の機会も減ってしまいました。
2月や3月の年度末に比べて、4月以降の新年度の忙しさは恐ろしいものです。
みんな、新年度で忙しい毎日を送り、余裕がなくなったのも交流が減った一要因ではないかな、と思います(私自身もそうです)。
しかし、新年度が始まって3ヶ月が経った今。
そろそろみんなの余裕が生まれてきた頃かな、とも思います。
もっとメンバー間の交流をするためには、今のclassroomではダメなのではないか。
そんなことを思っていたタイミングで、ちょうど Google Chatが個人アカウントでも使えるようになりました。
これこそまさに神からの啓示と言わんばかりに、運営メンバーに連絡。
そして今回の運びとなったわけです。
今のところ、この目論見は成功しているとおもいます。
メンバー同士のやりとりが増え、以前のような(それ以上の)やりとりが行われるようになりました。
一通りメンバーさんたちのプラットフォーム移行が済んだら、さらに交流が増えると思っています。
ちょうど夏休みですし、たいようさんも俄然やる気になってますし。
チャットから新しいウェブセミナーなども始まるかな、とワクワクしています。
何に移行したのか
classroomからから移行したのは2つのツールです。
Google Chat
メンバー間の交流を活発にするためには、まずは起動が早く、レスポンスを容易にできるようにする必要がありました。
そこで、チャット機能のツールとして Google Chatを採用しました。
これについては特に悩むこともなく、すんなりと決めることができました。
当初から、チャット機能として Google Chatの導入は計画にありましたが、2021年2月当初では Google Chatは一般開放されていない機能でした。
企業や学校アカウントのみ使える機能であり、私たちの使っているような個人アカウントでは Google Chatは使うことができなかったわけです。
「いつか使えるようになったら、 Google Chatに移行したいね」
何んてことを運営チームで話していました。
Google Chat移行後は、おおよそ目論見通りです。
メンバー間での交流が増え、「今日はどんな話題が出てるかな」と、Google Chatを開くのが楽しみになってきました。
classroomのあの起動のもっさり感からの開放はやはり嬉しいです。
今はICT LABOとしてのチャットルームは、メンバーさんが全員入る「ICT LABO」と「あいらぼラジオ」の2つです。
今後は、classroom時と同様に、テーマ別にルームを作成しても面白いかな、と思っています。
また、「こんな時どうしますか?」「皆さんの学校はどうなっていますか?」などの質問ももっと増えると集合知での解決というこのコミュニティの良さが活かされるようにもなると期待しています。
Scrapbox
コミュニティのポートフォリオ(これまでの歩みがわかるようなもの)として、Scrapboxを採用しました。
これについては、運営チームに提案する前に色々と悩みました。
Scrapbox自体は個人的に使っているツールですが、一般的には認知度はとても低いツールです。
ポートフォリオとしては、Google siteでも良いのではないかと考えました。
しかしScrapboxの
- ブラウザアプリ(SafariやChrome)で閲覧編集ができる
- カード形式のUI
- リンクで各カードが繋がる
という点に魅力を感じ、ポートフォリオとして採用しました。
情報を加えていくと(ページを増やしていくと)、どうしても古い情報は埋もれてしまうというジレンマが発生します。
Scrapboxは、このジレンマをリンクで繋がるという発想で緩やかに解決してくれます。
例えば、下の画像ではjamboardという言葉とシンキングツールという言葉にリンク機能を付与しています。
すると、あたかも脳が何かの拍子で思い出したかの如く、同じ単語を含むカードを下に並べてくれます。
埋もれていた情報を、表に出してくれる(思い出させてくれる)わけです。
閲覧者は、必要な情報を見た後、さらに見たいカードをクリックすることで、関連する知識が得られるのです。これが何とも心地よい。
Scrapboxの採用については、同じICT LABOメンバーであるYukiさんに協力してもらいました。
便利ですが、認知度が低いために、まずはメンバーの人に触れてもらって有用性や可能性を感じてもらう必要がありました。
私たちは、まず二人で100ページほど作成し、数人に公開して皆さんの反応を見ることにしました。
みなさんこのツールの良さを感じてくれたようでホッとしています。
Scrapboxは、たくさんの人の集合知が活かせるツールです。
なるべくいろんな人が思い思いのカードを作成し、リンクによってつなげることで化学反応が起こるツールです。
メンバーの人は、一人最低でも一ページ自分の手でページ作成をしてみてください。
もちろん、わからなければ Google Chatで聞いてください。
そのためのこのコミュニティです。
最後に
Google ChatやScrapboxについては、とにかく勉強する前に触って、少しずつ慣れていくのが早いと思います。
Google Chatについては、招待メールは届きません。フォームにアドレスを送った後、24時間以内にこちらで招待しています。
Google Chatのルームを開くと自動的に表示されるようになっているようです。
もし何も変化がなければ、直接私のTwitterアカウントにDMで連絡をください。
稀に何回もフォームでアドレスを送っている方がいますが、気がつかないことがあります。
気軽にDMを送ってくれた方が私も助かるので、24時間経ってもルームが開けなければ教えてください。
たくさんの人の参加と、たくさんの人の集合知によって学校を今より少しだけ前進させていく。
そんなコミュニティになれば嬉しいです。
GIGAタブレット導入。今一度、ノートの役割を考えてみる
学校にGIGA端末が配付され、学習の形態が徐々に変わりつつあります。
これまでの当たり前が本当に当たり前だったのか、もっと良い方法があるのではないか、と見直され始めました。
今日は、「ノート」についてです。
今一度、ノートの役割について考えてみようと思います。
①アイディアの受け皿
アイディアメモ
以前ブログで、学校でもっと長い時間をかけて文章をかく練習をしたいという話を書きました。
2000字程度のものではなく、半年から1年かけて10000字程度の一つの文章を完成させる、という提案です。
長い時間文章を書き続ける体力をつけたいとか、走り方を教えたいという表現がしっくりします。
原稿用紙が配られてそこでアイディアを出し書き始めるような即席のインスタント作文ではなく、具材としてのアイディアを選ぶところから拘っていくような骨太の作文づくりです。
となると、日頃パッと思い浮かんだアイディアの受け皿が必要になってきます。
アイディアというのは、まるで花火や流れ星のように、出たと思ったら一瞬で消えてしまうんですよね。
だから、急いでそのアイディアを書き留める何かが必要です。
そういった意味では、いつでも手にしているものとして、スマホやタブレットなどのデジタル機器はデバイスを超えることができることが強い点ではあります。
あるいは、メモ帳を常に携帯できればそちらでも良いのですが、生徒の物を無くす能力の高さは尋常ではありません。
ある程度いつでも持ち運ぶもの、無くしにくいものとしてGIGAによって配付されたデジタル端末はなかなか理にかなっていると思います。
「心がときめいた瞬間」メモ
アイディアは何も学校で探さなくても良いのです。
もしかしたら、家に帰ってからの方が良いアイディアを思い浮かぶかもしれない。
脳科学者の茂木健一郎さんは、良いアイディアはボーッとすることから生まれてくると言いました。
そうなると、むしろ学校という緊張する場所ではなく、家のような落ち着いたリラックスできる場所の方が良いアイディアが思い浮かびそうです。
アイディアの受け皿に、学校と家の垣根は必要ありません。
例えばこんな例はどうでしょう。
1年かけて、「私が好きなもの」というテーマで1万字の作文を作り上げます。
まずはアイディア出し、ネタ集めとして半年間かけて「心がときめいた瞬間」をメモとして書き出し続けます。
使うのはGoogle keepです。学校ではChromebookで、家に帰ってからはスマホなどでいつでもどこでも書き続けていきます。
この時は、とにかくネタ集めに集中していきます。
そして、月に1回アイディアの点検をします。
メモリストを眺めて、共通点や感想、なぜときめいたのかなどのメモを作成していきます。
そして、半年後にそれを箇条書きの形にしてアウトラインづくりを行います。
こんな形で作る作文があっても良いのではないか、と最近密かに企んでいます。
②ノートで思考する
書き出すことで自分の考えに気づける
独学大全より引用します。
ノートに写すのではなく、ノートで思考する
私たちの目の前の生徒は、普段どんなノートを書いているのでしょうか。
先生が黒板に書いた文字をそのまま綺麗にノートに写してはいないでしょうか。
果たしてその行為は必要でしょうか。
同じ内容を作成したいのであれば、コピーで済みます。
子どもたちはコピー機ではありません。
一生懸命黒板に書いてある文字を写すことで、いったいどれだけ思考を促進することができるでしょうか。
人は、日頃から脳内でたくさんのことを考えています。
しかしその考えは、頭に浮かんだ瞬間にもう次のことを考えているのだそうです。
思い浮かんだ内容が頭から消えてしまう前にノートに書き出すことで、人は自分が何を考えているのかを認識できるというわけです。
授業中は書き出すことで、自分の考えに気がつけるようなノートの取り方をさせたいなと最近思っています。
アジャイルライティング
ノートというと、私たちや生徒は、どうしても綺麗な形の文章を書くことをイメージしてしまいます。
しかし、「ノートで思考する」と捉えると、ノートはむしろ箇条書きや単語の羅列、文と文の繋がりがイメージできないようなものの方が良いかもしれません。
最近は「フリーライティング」や「モーニングノート」が企業人の中で流行っています。
頭に思い浮かんだものをとりあえずノートに書き出すというノートの取り方です。
書き出したものは、後で見返したり、逆に見返してはいけなかったりといくつかの流派に分かれますが。
ここでは、頭に浮かんだものを書き出して、後から編集することを想定したノートの取り方を考えていきます。
アジャイル思考というものがあります。
とりあえずやってみて、やりながら修正を加えていくという考え方です。
学校のノートの取り方は、一度書いたらほとんど後から修正を加えることはありません。
綺麗な板書を綺麗にコピーする。作文の時には、一度書いた文章は決して編集されることなく進んでいく。
このノートの取り方で、果たして深い思考は実現するのでしょうか。
このノートの取り方で深い思考をするには、あまりにも脳に負担がかかっていると思うのです。
そこで、アジャイルライティングです。
とりあえず今考えていることや書き溜めたアイディアノートを一度文章にします。
そして、しばらく書いたら読み直して、修正したり最初から書き直したりします。これがアジャイルライティング。
そうです。
こんなのは遥か昔から言われている(私たちが学生の時に教わった)「推敲」と何ら変わりません。
ただ、この推敲、ちゃんとやろうとするとかなり面倒です。私は今まで、原稿用紙に書いた文章を修正したことはありません。
ここで、デジタルの登場です。
デジタル機器の強みであるコピーや、文字の挿入を使えば、文章の修正というのはアナログと比べれば遥に簡単に行うことができます。
だから、何度も文章を書いて、自分が何を考えているのかを文章から感じ取り、もう一度編集する。
この繰り返しで文章を書く力を鍛えるわけです。
もしキーボード入力が苦手な年齢であれば、音声入力でも良いでしょう。
音声での文字入力だと驚くほど簡単に文章作成をすることができます。
さいごに
今日はアナログノートではなくデジタルノートに比重をおいてノートの役割について考えてみました。
アナログでは難しかったノートの活用が、今の時代に求められているのだと思います。
もう黒板に書いてある文字を写すコピーはやめたいのです。
生徒はコピー機ではありません。
ノートで思考するという方法を、身に付けていくと、人はさらに物事を深く考えられるのではないか。
そして、その手段としてデジタル機器が活かせるのではないか、というのが私の提案です。
箇条書きで文章を書くことのススメとそのために必要なこと
そろそろ夏休みですね。
夏休みといえば、私は小学生の頃、読書感想文が大嫌いでした。
本を読むことは好きでしたが、その感想を原稿用紙にまとめるという行為が苦手でした。
本を読み終わって、目の前にはペンと原稿用紙。
あれこれと頭の中であーでもないこーでもない、と考えて結局何を書けば良いのかわからない。
そんな子どもでした。
大人になって、こんな風に何を思ってかブログとして文章を書くようになったからこそ、色々とここに感じるものがあります。
今日は、文章の書き方として、もっと箇条書きを使って書こうよ、という話をしていきます。
なぜ今、箇条書きなのか
箇条書きしなくても文は書ける
そもそも「箇条書きを使って文章を書け」なんて、古今東西、はるか昔から言われてきている方法です。
私が小学生の時だって、当時の先生に「えむおーくん、書けない時はまず箇条書きで書いてごらん」と優しく指導されてきました。
しかし、当時の私は文章アイディアを箇条書きで書き出すなんてことは面倒でやりたくはありませんでした。
当時の私にあったら「お前!そんなだからロクな文章も書けずに大人になって、学級通信が発行できずに苦しむことになったんだ!今からちゃんと学べ!」と説教してやりたいです。
- 箇条書きでアイディアを書き出す
- 書き出したアイディアを絞る
- 並び替える
- 肉付けする
- 並び替える
- 肉付けする
文章の書き方って、この繰り返しです。
確かに、1000字から2000字程度の文章ならば、こんなことをせずとも文章は書けます。
このブログだって箇条書きなんてしなくても書けます。確かにそうです。その通り。
しかし、それだけでは質の高い文章の書き方は覚えられないのです。
学校現場にデジタルが
私もかつて言われました。文章を書くときは、まずは箇条書きで書いてそれぞれを肉付けしていくのだと。
ただ、絶対にそんなことはしませんでした。だって面倒ですもの。
しかし、今はあの頃とは違います。
学校にタブレットが導入され、デジタル機器を誰もが当たり前に使えるようになったのです。
これを使わない手はありません。
紙と鉛筆というアナログツールでは面倒だったものが、これらのことを簡単にできるようにしてくれました。
そもそも、文章を書く上で、
- ネタを考え
- 文に組み立て
- 書き出す
という行為は、実は高度な作業なのです。
まずは文章を書くということは、難しいことなのだと私たち教師が捉え、デジタル機器によって補助してもらう。
これまで面倒だった箇条書きという方法をデジタルが導入された今、もう一度評価しても良いのでは?
これがこのブログの趣旨です。
箇条書きを使って文章を書く人たち
物書きと呼ばれる人たちの中には、文章を書く前に箇条書きを駆使している人も多いようです。
いや、むしろそちらの方が大多数です。
文章を書くことを生業としている人たちは、文を書くことに時間をかけられるわけですから、箇条書きでもなんでもゆっくり丁寧にすることができたわけですね。
しかし、先程も言ったようにデジタル機器の発達によって、箇条書きは市民権を得ました。
今では、私のような一般人だって簡単に箇条書きで文章を書くことができます。
先生の中にも、箇条書きで文章を組み立ててアウトプットしている人がいます。
このブログでもたびたび紹介している、魚住惇先生は著書「教師のiPad仕事術」を書く時にも箇条書きを使って書いたようです。
この本の中にも、アウトラインという名前で紹介されています。
ちなみに、この本はただのiPadについてのhow to本ではなく、アナログとデジタルの融合に始まり、息抜きの方法まで書かれた、魚住先生の人となりが十分伝わる本です。
興味のある方はぜひ購入してみてください。
箇条書きの機会を増やす
長い時間をかけて文章を書く機会を
何度も何度も言うように、箇条書きなどしなくとも2000字程度の文章は書くことができます。
しかしそれは、2000字程度に限るのであり、大学生の論文ではそうはいきません。
いざ数万字の長い文章を書くときになって、箇条書きの文章の書き方なぞ初めから学ぶ時間はないわけです。
できれば、1年程度かけて1万文字の文章を書く機会を与えたいところです。
まぁ、そんなことを言われてもどこにそんな時間があるんだよ、と言う気もしますが。。
ただ、「はいお題です」「先生、できました」で書ける作文だけだと、やはり公教育として心許ない気もします。
書いてみるとわかるのですが、2000字程度の文章を5つ繋げても、1万文字の文章にはならないんですよね。
ゆえに、短い文章を書くだけでなく、長い時間をかけて文章を書く機会がどうにか学校で捻出できないか。
ただいま試行錯誤中です。
広告の功罪
先週はAmazonプライムデーでしたね。
私は日頃からいろんな人のブログやyoutubeなどを見るのが好きですが、このプライムデーの間だけ一切そういった類のものから距離を離して過ごしていました。
決してAirPods Proをポチってしまわないか心配したわけではありません。
「Amazonプライムデー!買うべき製品○つ!」なんて具合に同じような記事や動画の乱立。しまいには「うっせぇわ!」状態になってしまったんですよね。
同じタイトル、同じアイキャッチ、同じような内容…。
Googleさんのコンテンツ(ブログ、youtube)はこういったことになりやすいんですよ。
私はこれ、コンテンツを作る側の責任というより、広告がこうしてしまったと思っています。
なぜ広告は必要なのか
広告は画期的な手段
「なぜ広告は必要なのか」
まずはここから語っていきましょう。
コンテンツ制作者。例えば、アプリ開発者やブログを書いて生活している人。Youtuberなど動画を作って生活している人。
彼らはコンテンツを作って生活しているわけですから、当然どこかからお金を得る必要があります。
でもね。お金を得るって相当大変なわけです。
役に立つかわからないアプリ、どこの誰が作ったのかわからない記事や動画にお金を払う人ってまずいません。
「見る人はお金を払う必要がなく、コンテンツ制作者はお金を得る」
消費者と生産者がお互いにWin-Winになる魔法のような方法
こんな方法があるのかって?
実はあるのです。それが「広告」です。
三方よしの広告
テレビを例に話をします。
私たちは、テレビをつければ特にお金を払うことなく、番組(コンテンツ)を見ることができます。
先ほど言ったように、テレビ局はお金をどこかから得る必要があります。。
どこから資金を得ているのでしょうか。
スポンサーです。
テレビ局は、簡単にいうと、スポンサーからお金を得ることで経営が成り立ちます。
この広告システムがあるおかげで、放送局はお金を得られて、私たち視聴者は無料で放送を見ることができ。そして、スポンサーは広告という形で見返りを得るわけです。
これで、テレビ局、視聴者、スポンサーのみんなが得する魔法のシステムが完成したわけです。
では、この広告システムが導入されたことによって、その後どうなったのでしょうか。
広告の功罪①
目立てば良いという発想を生む
広告というシステムは、「多くの人に見られることでお金がもらえるシステム」なのです。
テレビを例に言えば、高い視聴率だと多くのスポンサーからお金を得ることができます。
システムとして、そういう構造になっているわけです。
残念ながら、この広告システムの弱点は、「システム自体にコンテンツを高める要素がない」ということです。
見られれば良いわけです。
このシステムから生まれたコンテンツからは「コンテンツの質」ではなく、「多くの人に見られる」がゴールになってしまうんですよね。
過去の事例
- 炎上商法
最も楽に目立つことができるのは、炎上です。
過激な発言や行動に、人は群がる性質があります。
炎上は、目立つための手段としては最もコスパが良い手段です。
- 真実かどうかわからない情報
目立てば良い、という発想で生まれる情報には、真実かどうかはさほど重要ではありません。
情報元の取材や科学的根拠を見つけるにはそれなりの時間やお金がかかります。
「多くの人に見られるため」という発想においては、情報が真実かどうかよりも「多くの人の目にとまること」が重要になっていきます。
- 誰かを傷つけても構わない
ある特定の個人や集団を批判することも、私たちの目に留まりやすい情報です。
炎上商法や根拠のない情報の結果、誰かを傷つけても、情報の発信者はさほど気に病まないでしょう。
傷つける意図があるかどうか、ではなく、傷つける可能性を考慮して発信しているか否かが重要なのです。
広告の功罪②
金太郎飴の乱立
金太郎飴とは…
どこを切っても同じ絵柄(金太郎)が出てくる飴。 同じような内容のコンテンツを指すこともある。
先ほど書いたように、人の目にとまる情報というのは、特定の傾向があります。
そのため、広告収入によって生まれたコンテンツは、どこか似たような内容になりがちです。
Appleの新製品がでれば、Youtuberはこぞって新製品を絶賛し。
アマゾンプライムデーでは「年に一度の大安売り」と煽って自身のブログの広告リンクから物を買ってもらおうと躍起になります。
google検索はコンテンツの質を上げたのか
何か調べたい時に使う検索ツール第一位はGoogle検索だそうです。(ちなみに第二位はYoutube)
google検索でヒットするものは、ブログ記事が多いって知っていますか?
広告収入のリンクを貼ったブログ記事は、みんな検索されようと必死に頑張っています。
そして、その結果。検索されやすい形のフォーマットが完成したのです。
- タイトルは32文字以内
- タイトルには数字を入れて
- それぞれの見出しには検索されやすい言葉を
この形で作られた記事は確かに読み手の興味をそそり、読みやすく感じます。
これとか。
これとかね。
この結果、読み手の読みたくなるようなフォーマットにならい、そしてキャッチーな話題ばかり取り上げた記事がどんどん増えました。
そして、無味無臭な記事の誕生です。
広告のない世界
広告なしという希望に満ちた幻想
このようにして、広告というシステムは、読み手にとっても書き手にとっても良いシステムに見えましたが、長い目で見ればコンテンツの質を下げてしまうシステムだと私は思います。
では、広告をなくしたらどうなるでしょうか。
コンテンツの制作者はどこかから収入を得る必要があります。
当然、収入先はコンテンツ消費者です。
広告のない世界では、コンテンツ消費者は、無料で受け取れていたコンテンツに、お金を支払う必要があります。
無料で使える広告ありのアプリではなく、広告なしの有料アプリを使うという選択肢を持つわけです。
また、最近は有料の記事やnoteも増えてきました。
まだまだnoteなど素人が書いているようなものばかりですが、有料の記事が増えることで優良な記事が生まれていくと思います。
フォロワーではなくファンとして購入する
広告のない世界(厳密には広告収入以外の選択肢のある世界)は、コンテンツ制作者だけでなく、消費者側の力も必要です。
ただで見られる広告コンテンツ(動画やブログなど)ではなく、お金を払って本やブログなどを見る権利を買うという選択肢を知って欲しいのです。
これまで言ってきたように、広告収入とは無料であたかもコンテンツ消費者にとってありがたいシステムのように見えてきましたが、
長い目で見た時に、コンテンツの質を下げてしまうということが、最近注目されてきています。
コンテンツ制作者は生活のためにはお金を得る必要があります。
そのお金を、スポンサーではなく消費者が払うことで、コンテンツの質を保つ(あるいは上げていく)ことができるのでは、というのがこの記事の主張です。
しかし、私たちのお金も無限にあるではありません。何百という記事にお金を払うことは不可能です。
そこで、私はコンテンツ消費者には「フォロワーではなく、ファンとしてコンテンツを楽しむ」という選択肢を持って欲しいと思っています。
何かこの人に惹かれる、興味がある、この人の考え方をもっと知りたい。
イデオロギーベースでファンとしてコンテンツを楽しむという選択肢を持つ。
広告収入以外の選択肢をコンテンツ制作者にも与えて欲しいのです。
特に、ネット環境の発達により、今は多くの人に情報を届けることができるようになりました。
みんなになんとなく刺さるコンテンツ、ではなく。私にグサッと刺さるコンテンツ。ニッチなコンテンツも比較的見つかるようになりました。
フォロワーとしてではなく、ファンとしてコンテンツを楽しむ。
これが私の、コンテンツの質を保つあるいは上げていくための選択肢です。
世界に、今よりちょっとだけ豊かなコンテンツが生まれていきますように。
たいようさんとのclubhouse再開とチャットルーム作成
久しぶりのブログ更新です。
ブログにはある程度のテンプレートがあることを、皆さんはご存知でしょうか。
Google検索に引っかかりやすくしたり、多くの人の目に止まるようなタイトルにしたり。
もっとも顕著なのが以下のような、「○○におすすめの△△方法×選」というやつですね。
タイトルに数字を入れると読まれやすくなるんですよね。
上の記事もよく読まれます。と、まぁこんな具合にPVを伸ばすテクニックというのが存在していまして。
それゆえGoogleで検索してみると、やたらと同じようなタイトルや内容の記事がまるで金太郎飴の如く乱立しているわけです。
最近はそれに嫌気がさしてしまって。私のこのブログも、最近は何も考えずに私が思ったこと、私の文章を書くことを意識しています。
久々のブログ記事更新。肩は十分あったまってきました。
では今日の目次です。
たいようさんとのclubhouse再開
最近起きたことと言えば当然これでしょう。
昨年度末、2月から3月にかけて。縁あってたいようさん( @shiningtaiyou )とclubhouseにて平日毎朝、話をしていました。
お互い4月からは忙しくなる環境のため、新年度とともにclubhouse配信は一旦ストップしていました。
いつかまた再開できれば良いな〜とは思っていましたが、まずはリアルを落ち着かせることを最優先したわけです。
この選択は全くもって正しく、おかげさまでだいぶ新しい環境にも慣れてきました。
そしてある日、たいようさんからこんなDMが届きます。
夜遅くにすみません。 新しい学校もだいぶペースが掴めてきたので、えむおーさんが良ければ、また、あいらぼラジオやれたらなーなんて考えてます。
もちろん二つ返事でOKです。
待ってましたと言わんばかりに熱い思いをメッセージにて返信しました。
世間がガッキーロスで落ち込んでいる中、私はたいよう( @shiningtaiyou )ロスで震える日々でした。
— えむおーiPad買ったら連絡ください (@Mo24555713) 2021年6月15日
2ヶ月半ぶりにclubhouse再開します。以前同様ICTをテーマとして話をしていきます。
clubhouseや #あいらぼラジオ 、Googleチャットにてまた交流してもらえると嬉しいです https://t.co/QpiwIebSbC
2ヶ月半ぶりのclubhouseは平常運転でしたね。
やはり誰かと言葉を交わしながら物事を考えるってのは知見が得られてとても楽しいです。
毎週水、木の朝配信しますので、タイミングがあえばフラッと参加してみてください。
議論の場が欲しい
最近、誰かと対話したい欲求が高まりつつあります。
というのも、自分の視野を広げたいからなんですよね。
知識を増やしたいというか、新しい発想を得たいというか。
知識を得る方法として、読書が挙がります。
本を読んで、自分なりの気づきや感想をメモするわけですが。
もちろん新たな気づきを得ることができますが、どこまで行っても自分一人なんですよね。
私の場合、独りよがりになってしまっているのではないかと不安になることもあります。
そこで、対話です。
主体的な対話というのは、必然的に深い学びを引き起こすものです。(何処かで目にした文章ですね)
ここでいう対話とは、言葉によるコミュニケーションだけではありません。
自分の考えていることを文章にし、他人の文章を読み、互いに意見を述べ合う。
私以外の人からフィードバックをもらいたいのでしょうね。
よくTwitter上では「議論はしません」という言葉を目にします。
きっと過去に嫌な思いをしたのだと思います。この気持ちは否定しません。
私はその逆で、きっと議論をしたいんだと思います。
若手という年齢から中堅という年齢になってくると、圧倒的にフィードバックが減ります。
自分の知見が狭くならないためにも、周りの人からのフォードバックというものがあるととても助かるわけです。
ブログでも、Twitterでも、ICT LABO(あいらぼ)でも、何かフィードバックがあると尻尾を振って喜びます。
コミュニケーションの場の提供
半分私のためでもあります。
以前「ICT LABOは公園」と表現しました。
たいようさんとのclubhouse再開と同時に、Googleチャットで一つグループ作成をしました。
公園に一つベンチを作ってみたわけです。
この遊具では、みんなで座って「あーでもない」「こーでもない」と、語り合う場所にしたいと思っています。
若干まだ過疎ってます笑。主につぶやくのは私です。
チャットの良さは、「横から失礼します」ができるところだと思っています。
こういうブログだとそれができませんからね。
できれば、私やたいようさんのclubhouseを聴いて「私はこうに思う」という意見を聞きたい。
そして、「横から失礼します」と互いに自分の意見を言うことで、主体的な対話を引き出したいという思いがあります。
以前は私とたいようさん、聴いている人の双方向でのやりとりでした。
できれば、私とたいようさん以外の方々との交流もしてほしいわけです。
そして、私もそのやりとりに「横から失礼します」をしたい。
そんなコミュニケーションの場を作りました。
「私もベンチに座りたい」と言う方、遠慮せずに私のTwitterアカウントにDMください。
毎回clubhouseを聴いてもらう必要はありません。
とにかく一緒にコミュニケーションをしたいという方、急募です。
使いこなすことを目指さない、ワクワクは連鎖する、ICT LABO(あいらぼ)生活ゆるく再開
ようやく今週も終わりますね。みなさん、お疲れ様です。
新年度が始まって3週間。徐々に慣れてきた人もいるのではないでしょうか。
最近のブログは、特にテーマを絞らずにゆるく書くよう心がけています。
自分が書いていて楽しい文章を書くことを意識しています。
広く浅く、ではなく狭くて良いから一緒に楽しんでもらいたい。
そんな思いを込めながら、今日のブログ更新です。
使いこなすことを目指す代わりに使うことを楽しむ
先日読んだこのブログからの引用です。
使いこなすことを目指す代わりに使うことを楽しむ | シゴタノ!
使いこなすことは忘れて、使い込む。
— しごたの/大橋 悦夫 (@shigotano) 2020年5月15日
・使いこなす=なんか大変そう…
・使い込む =時間を費やせばOK
使い込んでいるうちに使いこなせるようになる。
使いこなせないのは使い込んでないだけ。
そもそも「こなす」って「熟す」と書くので。
GIGAスクール構想によって一人一台端末が導入されました。
中には自前でiPadを購入される先生も増えてきました。
たまに「どうやったら使いこなせますか?」という連絡をもらうことがあります。
私自身「こうやったら便利」とか「この使い方は心地よい」という使い方はありますが、使いこなすという表現はしっくりきません。
この違和感の正体は、先程の大橋さんのtweetを見てわかりました。
使いこなすことは忘れて、使い込む。
私はiPadを持って学校を歩くようになって数年、ずーっとiPadを使うことを楽しんできました。
iPadの使い方の発信を見ると、なんだかきらきらしているように感じます。
自分もあんな風に使いたい、使いこなせるようになりたい、と思う人もいるでしょう。
そんな風に感じる人にこそ、届けたい言葉です。
使いこなすことを目指す代わりに、使うことを楽しむ
「こうしたらどうだろう」「こんな風にできるのだろうか」
自分にできることを一つ一つ行い、徐々に自分なりに使い方をカスタマイズしていく。
この過程こそ楽しいのであり、この体験が豊かなのだと思います。
そもそも使いこなすの定義も曖昧ですからね。
どこまで使えれば使いこなしたと言えるのか。
そんなことを考えるより、楽しむことにこだわる方が豊かなのでは、と感じます。
ワクワクは連鎖する
【緩募】
— えむおーiPad買ったら連絡ください (@Mo24555713) 2021年4月17日
私の中のワクワク成分が枯渇しつつあります。皆さんの「これ買ってワクワクしてます!」をリプ欄にください
Apple製品、アプリ、キーボードやマウスなんでも良いです。
ワクワクを。。。
ワクワクの共有を。。。!
Twitter上で投げかけたみなさんのワクワク。最高でした。
・iPad Air4とApple Pencilにワクワク
・オキュラスクエスト(VR)にワクワク
・Chromebook調べてワクワク
私はApple製品が好きですが、ガジェット自体も好きなので、みなさんの購入tweetを見ているだけでワクワクしました。
ワクワクは連鎖しますね。
おかげさまで翌日は日曜夕方でも憂鬱にならずにすみました。
今この時間においても「今夜何して遊ぼうか」を考えている私はきっと職場や周りの人に恵まれているのだろうな。子供が寝静まった後はMacBookかな。iPadかな。20日のイベントの予想をしてニヤニヤしようかな。昨日皆さんからワクワクをお裾分けしてもらったおかげで元気です。ワクワクは連鎖するのだ
— えむおーiPad買ったら連絡ください (@Mo24555713) 2021年4月18日
新年度、色々と忙しく過ごしている人も多いと思います。
もちろん、新しい環境、新しいスタートというのはそれ自体にワクワクする人もいます。
しかしここで仕事一色の生活を過ごしてしまうと、ひと月ほどたつと一気に疲れが来ることを私は知っています。
仕事を頑張るのなら、私生活も充実させる。
自分の時間に価値を見出すからこそ、メリハリのある生活を送ることができるのだと思います。
リプ欄にコメントをくださった方々、ありがとうございました。
(購入しましたtweetはいつでも受け付けていますので、新たな製品を買ったらワクワクのお裾分けをお願いします)
ICT LABO(あいらぼ)生活ゆるく再開
新年度のドタバタで意識してお休みしていたICT LABO(あいらぼ)コミュニティ。
最近は、少しずつ顔を出せるようになりました。
やはりネットは人と人の繋がりを感じるとより一層面白くなる。
ICT LABO(あいらぼ)のclassroomやGoogleチャットでのやりとりで、楽しく交流することができています。
最近はGIGAに関わらないことも書き込んでいます。(私有化してしまいすみません)
また、clubhouseでの発信も増えてきました。
ひあすさんが「ICT×特別支援」というテーマで毎週月、金相方のたてにいと話してくれたり。
アイアイさんが「あいらぼラジオU」や「あいらぼラジオEB」の名前でテーマを設けて話してくれたり。
こういうことをやりたかったのでとても嬉しいです。
私は、ICT LABO(あいらぼ)はあくまで場の提供であり、みなさんがコンテンツを作っていくコミュニティです、と当初から発信し続けています。
コミュニティの交流も、clubhouseの交流も、気軽にゆるい気持ちで発信してもらえたら、と思っています。
意外にみなさんにとっての当たり前(発信する価値がないと思っている内容)でも、需要はあるのです。
私自身も、「私の発信なんて誰の役に立つんだ」と思ってブログとTwitterを始めて、今こういった状況にいます。
ぜひここまで読んでくださったあなたも、何かしら発信してみてください。
clubhouseでの発信は、特に募集しています。
私に断らずに勝手にroom立ち上げ推奨ですので。(音声配信を聞くのが大好きなのです)
よろしくお願いします。