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子どもは叱ってもほめてもダメ?ではどうする?【幸せになる勇気】から

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『嫌われる勇気』に引き続き、アドラー心理学について書かれた『幸せになる勇気』も読み終わりました。

 

教室にはいろんな生徒がいます。生徒の中には目立つ子もいれば、おとなしい子もいます。中には自分から問題行動と言われるような行動をとって目立とうとする子もいます。

 

今日は僕が生徒に対して意識していきたいことを書いていきます。 

 

叱る必要もほめる必要もない

前回の『嫌われる勇気』はどちらかというと物事をシンプルにみる方法、アドラー心理学全般のことをわかりやすくまとめられていたのに対し、今回の『幸せになる勇気』はどちらかというと教育という視点で書かれていたように感じます。

 

この本に面白い言葉が書いてあります。

アドラーは賞罰を禁じる。叱ってはいけない、ほめてもいけない、と断じる。

 

アドラー心理学では叱ることもほめることもよくない事として認識されています。教育にはこの二つは必要ない、と。

 

これには僕は驚きでした。なぜなら僕は叱ることはさておき、ほめる事、つまり相手を承認することは子供にとっても良いことと思っていたからです。

 

しかしここではなんどもはっきりと、子供は叱ってもほめてもいけない、と書かれています。なぜでしょうか。

 

ほめる人は相手をコントロールしたい人

皆さんは、例えば生徒やご自身のお子さんをどんな時にほめますか?僕は今ままで良い行動をした時に子供達をほめていました。しかし、この本を読んでこれはとても危険なことかもしれない、と思うようになりました。

 

良い行動、悪い行動というのはあくまで僕の中の基準で判断しています。そして、中には自分にとって都合の良い時にほめているということもあります。

 

悪い例として紹介します。僕は息子が一人で大人しくしている時なんかは「偉いね〜」とほめていました。しかし、よくよく考えてみると果たして大人しくしていることは良いことでしょうか?逆に元気に遊ぶことは悪いことなのでしょうか?

 

大人しくしていることでほめられた息子は次もほめられようと大人しくするのではないでしょうか?そもそもそれは良いことというよりも、息子がおとなしいのは僕にとっと都合の良いことなのではないでしょうか。それに気づいた時、ハッとしました。

相手をほめる人はもう一度同じ行動をして欲しくてほめる。それは相手にとって良いというよりも自分にとって都合の良い時である。

 

では問題行動が起きたらどうするか

ほめることの危険性はもっとあります。これは、ほめることで行動させていくと問題行動も生み出してしまうということです。

 

問題行動とは…例えば、学校であれば授業中繰り返し騒ぎ出す。相手の嫌がることをする。こういった行動を先生ならばなんども目にすることがあるかと思います。

 

なぜ問題行動をするかというと、一つはそれらが悪いことと知らなかったことが原因。この対処法は簡単です。叱らずとも教えれば良いのです。そこに厳しい言葉は必要ありません。

 

もう一つはそれがよくないこととして分かっていてわざと問題行動をする。これについては、大事なのはその背景に着目することのようです。この本では問題行動が起きるパターンとして次の5つを段階として挙げています。

  1. 賞賛の要求(もっとほめて!)
  2. 注目換気(私を見て!)
  3. 権力争い(反抗してやる!)
  4. 復讐(自傷行為、引きこもりで困らせてやる!)
  5. 無能の証明(私を見捨ててくれ!)

 

多くの問題行動は段階3でとどまっていると言われ、段階4や5になると専門家でもかなり困難になるようです。だからこそ我々教師は早期に対応していかなければいけません。

 

ではこういった行動が見られたとき、あるいは見られる前に我々教師はどうすれば良いのでしょうか。

 

人として接する

問題行動が起きた時、我々がしたいのはその行動が起きた時だけでなく、「子供達(相手)のすることに日頃から関心を持つこと」が大切です。注目されたいのが彼らの目的なので、問題行動でなくとも注目することで彼らの目的を達成することができます。

 

日頃から声をかけたり、何に興味があるのか関心を持ったりする。時には子供達の興味があることを一緒にやってみるのも良いかもしれません。これには僕も少しうまくいった経験があります。

 

生徒と先生という立場だからこそほめたり叱ったりするのです。そもそもほめる、叱るは上下の立場が存在しています。アドラー心理学が推奨するのは横の立場です。つまり子供であっても大人であっても一人の人間として接することが重要です。

 

結婚されている方は、奥さんのことを叱ったりほめたりしますか?感謝の言葉は伝えるかもしれませんが「よくやった」なんて言っていたとしたらそれは危険な関係です。あるいは上司に向かって「よくやった」なんて言ったらどうでしょうか。

 

子供達との関係も同じです。先生は偉い、生徒は偉くない、ではありません。僕は生徒から教わることもありますし、助けてもらうこともあります。知らないことは教えますが、それは僕が偉いからではありません。

 

僕が担当しているバスケットボール部の生徒は、朝から駅伝練習に参加して数キロ走っています。朝眠い僕にとって、それはすごいことです。その後バスケットボールの練習もする彼らは僕からすれば超人です。

 

中にはみんなのペースについていけない人もいます。でも、そんな辛いのに朝ちゃんときてるんだからすごい。そんな目で見ていくと、生徒って我々大人よりも何倍もすごいことをしているんですよ。

 

まずは尊敬することから始めませんか

関心を持つことは尊敬すること、と言われます。尊敬する相手にほめるも叱るもありません。教師が生徒にするべきことは「交友」です。

 

何も生徒と同じような言葉を使って互いにいじり合うことではありません。人として相手に興味を持ち、尊敬の念を抱く。言葉を交わし、「僕はこうに思う」と交流する。おそらくこう言った一つ一つの関わりが時間をかけて良い関係を作るのだと思います。

 

僕は自分がすごい人じゃないことは知っています。数学の教師ですが、授業中の生徒の発想は僕が中学生だったら思いもしないような意見が出てきてびっくりします。

 

生徒の意見を適当に流さずに、なぜそう考えたのか、その背景を一緒に探っていくとあっという間に時間が経ってしまいます。

 

僕が初任の頃には思いもしなかった発想です。生徒を尊敬する。人と人ですから、互いに尊敬しあい、支え合えればこれ以上ない関係ですよね。

 

2学期からは生徒を人として尊敬してみませんか?

 

 

 

 

嫌われる勇気